ネオ・アンフィオニイ作品
title:ユートピア 2000 ver.1.0j
木村応水 作
1997
『顧みれば』 エドワード・ベラミー
私はボストン市で一八五七年に初めて日の光を見た。「何だって!
一八五七年? それはとんだまちがいだ。一九五七年のころだろう、も
ちろん。」と君は言うでしょう。すみませんが、まちがいはないのです。
一九五七年ではなく一八五七年のクリスマスの一日後、十二月二十六日
の午後四時頃に、私は初めてボストンの東風を呼吸した。このボストン
の東風は、私は読者に保証する、あの遠い昔でも現在の恵まれた二◯◯◯
年においてと同様、身にしみてつめたいのであった。
「あなたの態度からみると、あなたは教養のある方だということがわか
ります。あなたの時代には、教養があるということは、今日のようにあ
たりまえのことではなかった、ということを私は知っています。ですか
ら、きっとあなたは、この世のもので或るものが他のものよりもすばら
しいと言うのは本当ではない、という科学的観察をとげていられましょ
う。すべての現象の原因は同等に妥当なものであり、結果は同等にあた
りまえのことである。私がいまから申しあげることをあなたがおききに
なったら、びっくりなさることだろうと思われます。しかしあなたはそ
のために不当に平静を乱されるようなことはないと私は信じています。
あなたの容貌はようやく三十になったばかりの若い男の容貌です。そし
てあなたの体の容態は、いくぶん長すぎる深い眠りからさめたばかりの
人の容態と大して違わないようです。ところが今日は紀元二◯◯◯年の
九月十日です。だからあなたは正確に百十三年と三カ月と十一日間眠つ
ていられたのです。」
「その産業隊に服役する期間は終身ですか?」
「いえ、いえ、あなたの時代の平均労働期間よりおそくはじまってはや
く終わります。あなたの時代の工場には子供と老人がいっぱいいました
が、われわれは青春期を神聖なものとして教育にささげています。そし
て肉体の力が弱りはじめる成熟期も、等しく安易と快適な休養にささげ
ています。産業的な仕事の時期は、二十一歳の教育期の終わりをはじめ
として、四十五歳を終わりとする、二十四年間です。四十五歳以後は、
労働からは解放されますが、五十五歳に達するまでは、不時の出来事で
急に労働の要求が甚だしく増大した場合に、特殊呼び出しはめったにあ
るものでなく、実際上殆どないのです。毎年十月の十五日はわれわれの
いわゆる点呼日です。それは二十一歳に達した人たちがその時に点呼を
うけて産業労働隊に編入され、同時に二十四年の服務ののち四十五歳に
達した人たちが点呼をうけ、栄誉をになって除隊されるからです。それ
はわれわれの一年中で大事な日でして、それを起点にして他のすべての
行事を按配するのです。」
「産業の体制としては、私はそれは極めて効率的だろうと思いますが。」
と私は言った、「それは知的職業階級即ち手ではなく頭で国に仕える人々
のためには、何の規定もしていないようです。もちろん頭脳労働者がな
くてはやってゆけるものではありません。それでは、その頭脳労働者は、
農業者や機械工として服役する人々のうちから、どういうやりかたで選
ばれるのですか? それはとてもデリケイトなふるい分けの過程が必要
だと思いますがね。」
「そうなんです。」とドクター・リートが答えた、「この際可能な限り
最もデリケイトなテストが必要です。だからわれわれは、人が頭脳労働
者になるか手の労働者になるかという問題を決定することは、全然その
人にまかせています。各人が服役せねばならぬ普通労働者としての三年
の期間の終わりに、その人が自分の生来の趣味に応じて、芸術或いは頭
脳職業につくか、農業者或いは機械工になるか、いずれかを選ぶことに
なっています。自分は筋肉によるよりも頭脳による方がよい仕事ができ
ると思うならば、その想像する傾向の真偽をためし、それをかん養し、
それを職業として追及することが適当か否かをためす、あらゆる便宜が
供給されています。工芸学と、医学と、芸術と、音楽と、演劇と、高等
自由学問を授ける学校が、いつでも無条件で志願者に対して開かれてい
ます。」
「そういう学校はただ労働をさけたいばかりの若者であふれているので
はありませんか?」
ドクター・リートはすこしこわいみたいに微笑した。
「労働をさける目的のために頭脳職業学校にはいる者は全然ないようで
す、それはたしかです。」と彼は言った、「学校は学校で教える部門の
特別な才能をっもっている者をいれることになっていて、そういう才能
をもっていない者は、そういう学課についてゆくために骨折るよりも、
自分の職業で倍の時間働く方が楽なくらいです。もちろん、正直に自分
の才能を思い違える者も多いのですが、そういう者は自分が学校の要求
に堪えることができないことがわかると、学校をやめて産業の仕事に戻
ります。しかもそういう人でもすこしも面目をつぶすことはありません。
それは公の政策がもともと万人にそのもっていると思われる才能をのば
すことを奨励することにあるのですし、そういう才能の実在を証明する
には実際のためしによるほかはないからです。あなたがたの時代の頭脳
職業と科学の学校は、その学生の金銭的支持にたよっていたのでしてじっ
さいには不適当な人間に卒業証書を与えることが普通であったようです
し、そういう者があとで頭脳職業にはいっていたのです。いまの学校は
国の施設でありまして、そのテストをパスしたことは疑いもない特殊能
力の証拠なのです。」
「私が見たもので新しくないものは殆どありませんでしたよ。」と私は
答えた。「しかし何よりもひどく意外だったのは、ワシントン街に商店
が一つもなく、ステイト(ボストンの金融中心地)に銀行が一つもなか
ったことだと私は思います。商人や銀行員はどうなったのですか? み
んな絞首刑にされたのでしょう。たぶん、私の時代にアナーキストがや
りたがっていたように。」
「そんな悪いことじゃありませんよ。」とドクター・リートが答えた。
「私たちは商人や銀行員なしでやってゆけるだけのことです。彼らの仕
事は現代の世界ではすたれてしまっています。」
「あなたがたがものを買いたい時、それを誰が売るのです?」
「今日では売りも買いもありません。物価の分配は別の方法で行われて
います。銀行家はといえば、今日通貨というものがないのですから、あ
あいうお偉らがたはもう役ないしです。」
「ミス・リート、」と私はイーデスに向かって言った。「あなたのお父
さんは私をなぶりものにしていられるおそれがあります。私が無邪気な
ので、私をなぶりたい誘惑がひどく強いでしょうから、お父さんを非難
するわけではないのですが。しかしじっさいのところ、、社会体制の変
革の可能については、私の軽信にも限度がありますからね。」
「父は決して冗談を云うつもりではありませんのよ、」とイーデスは安
心させるような微笑をうかべて言った。
その時、私の記憶が正しいとすれば、リート夫人が十九世紀の婦人の
風習の問題をもちだしたので、会話はほかの方へそれていった。そして
朝食後、ドクトルが自分のすきな落ち着き場所と思われる屋根のてっぺ
んへ私を招待した時になってはじめて、さっきの話をまたつづけた。
「意外だったでしょう。」とリートが言った。「私たちが通貨も商売も
なしでやっていると私が言ったので。しかしちょっと考えてみれば、あ
なたの時代に、生産の仕事が私人の手にまかされていたばかりに、商売
があり、通貨が必要だったということ、したがって今日ではそれが余計
なものとなっていること、がわかるでしょう。」
「どうしてそういうことになるか、私にはじきにはわかりませんね。」
「とても簡単なことです。」とドクター・リートが言った。「無数の相
異なる独立した人々が生活と慰楽に必要なさまざまなものを生産してい
た時には、みんなが自分の欲するものを供給されるために個々に人間の
間の無限の交換が必要でした。そういう交換が商業を構成し、通貨がそ
の媒介物として必要だったのです。しかし国があらゆる種類の物価の唯
一の生産者となるや否や、みんなが自分の要求するものを得るために個々
の人間の間で交換する必要がなくなったのです。何もかもただ一つの原
から買うことができ、何ものもそれ以外のところでは買えなくなりまし
た。国の倉庫から直接に分配する制度が商業にとってかわり、そのため
に通貨は不要になりました。」
「第一に、」とドクター・リートが答えた、「隣人は私たちに売るもの
は何ももっていません。そしてどういうことがあっても、私たちのクレ
ジットは、厳に個人的なものですから、譲渡することはできません。国
民があなたが言われるようなそんな取り引きを尊重することを考え得る
ためには、その絶対的な公正を保護することができるように、その取り
引きのあらゆる事情をしらべてみなくてはならないでしょう。ほかに理
由がなかったとしても、かねをもっていることはそのかねをもつ正しい
資格の指標ではないということだけでも、かねを廃止するに充分な理由
であったでしょう。かねを盗んだり、人を殺してとったりした人間の手
中にあっても、精励してそれを得た人の手にあっても、かねはかねでし
た。今日の人間は友情からして贈り物や心付けを交換しますが、売買は、
市民の間にゆき渡っている筈の相互的な慈悲と無私、及び私たちの社会
体制を支えている共同利益の観念と、絶対的に一致しないと考えられて
います。私たちの考えかたによれば、売買はそのあらゆる傾向において
根本的に反社会的です。それは他人を犠牲にする利己主義の教育であり
ます。そしてその市民がそいういう学校で鍛練されるような社会は、ど
うしても極めて低い程度の文明以上にのぼることはできません。」
「時のたつうちに市民の境遇の平等を甚だしく阻害するほど、高価な品
物や動産が個人の手中に蓄積されることを何でもって防止するのですか?」
と私はたずねた。
「その問題は極めて簡単に片づきます。」という答えであった。「現在
の社会組織のもとでは、個人財産の蓄積は、それが真の慰楽を増大する
点を超過する瞬間から、単に重荷となってしまいます。あなたの時代に
は、人が家一ぱい金や銀の食器、希有な陶磁器、高価な家具といったよ
うなものをもっていると、そういうものが金銭を代表し、いつでも金銭
に換えられるものだから、その人は金持ちだと考えられたのです。今日
では、同時に死んだ百人の親戚の動産で同様なはめに陥った人間は、ひ
どく運が悪いと考えられます。そういう品物は、売ることができないの
ですから、その人はその品物をしまっておく家を借り、さらにその番を
してくれる人の労賃を払うために、自分のクレジットに喰いこまねばな
りますまい。そういう人はきっと、時をうつさず、自分をそれだけ貧乏
にするにすぎない財産を友人の間にばらまくでしょうが、そういう友だ
ちのうちには、そのために容易に余地をとり、それに注意を向ける時間
をとることができるような品物以上の品物を受け取るものは一人もいな
いでしょう。ですから、過大な蓄積を防止する見地から個人財産の相続
を禁止することは、国民に対する余計な用心でありましょう。個々の市
民は、自分で余計な荷を背負わないように心がけるもの、と信頼してい
てよいのです。みんながこの点にはとても注意していますから、親戚の
者は普通、特殊なものだけを保留して、死んだ友人の財産に対する要求
権は大体放棄します。国がその放棄された動産の管理を引受け、価値の
あるようなものは再び共同のストックに向けます。」
「自活することのできるものがありますか?」とドクトルは言った。
「文明社会には自活などというものはありません。家族の協同すらも知
らないほど野蛮な社会状態の時には、各個人が自分で食ってゆくかもし
れません。しかもその時にでも生涯の一時期だけです。しかし人間が共
同生活をはじめ、どんな素朴な種類のものであれ社会を構成しはじめる
瞬間からして、自活は不可能となります。人間がますます開化し、職業
と仕事の文化が行われるにつれて、複雑な相互依存が普遍的な通則とな
ります。各人が、その地位がいくら孤独であるように見えようとも、国
民と同じ大きさ、人類と同じ大きさの、莫大な産業協同経営の一員です。
相互依存の必然は相互扶助の義務と保証を意味すべきものです、そして
あなたの時代にそうでなかったからして、あなたの時代の体制に特有の
残酷と不合理が生まれたのです。」
「説明のつかぬ残滓を残す解決は全然解決ではありません。そこで私た
ちの人間社会の問題の解決は、ちんばと病人とめくらを、けだものと一
しょにほうりだして、思いどおりのふるまいをさせておいたとすれば、
全然解決ではなかったでしょう。万人が同情せねばならぬ、心とからだ
の安易をはかってやるべき、こういう重荷を負った人たちよりは、強い
丈夫な者をほうっておいた方がずっと好いでしょう。それですから、今
朝も申しあげたように、あらゆる男、女、子供の生存手段を得る資格は、
同じ民族の仲間、同じ人間家族の構成員であるというじつに平明な、明
白な、簡単な基礎的事実によるのであります。通用する唯一の貨幣は神
の像です。そしてそれで私たちがもっているあらゆるものを購うことが
できます。」
やがてイーディスが私のところへきて、にこにこして言った。「昨夜、
あなたがもうすこし私たちと私たちの風習におなれになるまで、どうし
たらあなたをくつろいだ気持ちにさせることができるかしらと考えてい
ましたら、一つの考えがうかんでまいりました。あなたをあなたの時代
のとても好い人たちに紹介してあげたら、あなたはどう思いになります?
その人たちをきっとあなたはよっくご存じなんです。」
私はすこし漠として、それはたしかに大へん結構ですが、どうしてそ
んなことができるか私にはわからないと言った。
「私と一しょにいらっしゃい。」とにこにこして答えた、「そして私の
言葉がほんとうかどうか、見て下さい。」
私のものに驚く感じはすでにうけた数々の衝撃のためにいいかげん鈍
っていたが、いくぶん珍しい気持ちでイーディスのあとについて、まだ
はいったことのなかった一室へはいっていった。それは壁が棚になって
書物が一ぱいつまっている、狭い小じんまりした部屋であった。
「ここにあなたの友だちがおられます。」とイーディスは本棚を指差し
て言った。そこで見渡すと書物の背にシェイクスピア、ミルトン、ワー
ズワース、シェリー、テニスン、デフォー、ディケンズ、サッカレ、
ユーゴー、ホーソーン、アーヴィン、その他私たちの時代及び古今の大
作家の名前が見えたので、イーディスの言った意味がわかった。
イーディスはまことにその約束をはたしたのであって、その約束を文字
どおりにはたしてくれたら却って失望ものであったろう。私がこの人た
ちと交わった最後の時以来経過した一世紀に、私が年寄らなかったと同
様に年寄らなかった、一群の友だちを紹介してくれたのである。この人
たちの言葉が前世紀の時間を消すたすけになった時と同じように、この
人たちの意気は高く、機知はは鋭く、笑と涙は人の笑いと涙をさそうも
のであった。私と私の昔の生活との間にひらいた歳月の隔絶がいくら大
きかろうと、私は孤独でなかったし、孤独であることはできなかった。
「しかし国の立法部がなく、国民大会は、五年に一ぺんしかひらかれな
いとすれば、立法はどうして行われるのです?」
「立法は行われません。」とドクター・リートが答えた。「というのは、
まるでないに近いのです。大会が、会合したにしても、何か重要な新し
い法律を考えることはめったになく、そういう時でも大会はただ、何ご
とでも早急にされることのないように、それを次の大会にすすめる力を
もっているだけです。ちょっと考えてごらんになれば、ウエストさん、
私たちが法律をこしらえねばならぬ対象がないということがおわかりで
しょう。いまの社会がうちたてられている根本原則が、あらゆる時に、
あなたの時代に立法を要求した争闘や誤解を解決するのです。
「その時代の法律の百分の九十九までが、私有財産の定義と防衛と、売
り手買い手の関係とに必要だった立法の殆どすべての理由がなくなって
います。以前の社会はその頂上を下にして釣合をとっているピラミッド
でした。人間の本性のすべての重力が、不断にそれをてんぷくさせるよ
うに働いていました。それでそれは、不断に更新される法律の形式をと
った支柱と扶壁と支索の、巧緻な機構でもって、まっすぐにというより
はまっさかさまに(へたなしゃれを許して下さい)支えることができた
のです。年に二千ばかりも法律をだす中央議会と四十の州立法部では、
何らかの緊張の移りかわりによって不断に折れたり有効でなくなったり
する支柱をとっかえるほど速やかに新しい支柱をつくることができない
のでした。いまの社会はその基部を下にして落ち着いています。ですか
ら永久の山のように人工の支持物の必要はありません。」
私たちは前からの約束にしたがい、晩餐館で婦人たちに出会って、晩
餐をとった。そのあとで婦人たちは何かの約束があって出かけてゆき、
私たちは食卓に向かったままあとに残り、ほかのいろんなことと一しょ
に私の時代の酒とたばこのことについて論じあった。
「ドクター、」と私は話半ばに言った。「道徳的に言えば、いまの社会
体制は、世界中で以前行われたあらゆる体制、特に私自身の最も不幸だ
った世紀の体制と比較して嘆称しないではいられない体制です。もし私
が今夜この前のように長い眠りに陥り、その間時間の進みが前にでなく
後に転じて、私がまた十九世紀で眼をさます、というようなことでもあ
りましたら、私が見てきたことを友だちに話してやると、みんながあな
たがたの世界は秩序と平等と幸福の楽園であるということを認めるでし
ょう。それはたしかに、全国民を私がいま目のあたりに見ているような
慰楽どころか贅沢をさせてくらさせておくには、私の時代の国民が生産
した富より遥かに大きな富が必要であった筈だからです。さて、私はい
まの体制の主要特性をほかの殆どすべてを彼らにうまく説明してやるこ
とができるでしょうが、この富の問題に答えることはまったくできない
でしょう。そしてそれができなければ、とても綿密な運算家の連中です
から、私は夢を見ていたのだと言うでしょう。そして他のこともみんな
信じまいとするでしょう。私の時代では、国民の年産総額は、絶対的に
平等に分け得られたにしても、一人あたり三、四百ドル、即ち慰楽は殆
ど或いはまったく抜きにした生活、の必需品を供給するに足るだけより
いかほども多くない額にしかならなかったでしょう。あなたがたがそれ
よりもこんなに多い富をもっていられるのはどうしたわけですか?」
「それはごく当を得た質問です、ウエストさん。」とドクター・リート
が答えた。「そして、あなたが想像された場合において、あなたの友だ
ちが、それに対する満足な答えがないから、あなたの話しはみんなばか
げた空想だと言ったとしても、私はその人たちを責めはしないでしょう。
それは私だって一回の座談ではあますところなく答えることのできない
問題です。それで私の一般的な説明を裏書きする正確な統計については、
私の書庫にある書物を参照していただかねばなりませんが、あなたが言
われた偶発事件の場合に、わずかばかりの示唆がないために、あなたの
旧友にあなたが混乱させられっぱなしだと、ほんとに残念なことでしょ
う。
あなたがたに比較して、私たちが富を決済する小さな項目からはじめ
ましょう。国債も、州債も、郡債も、市債も、その勘定による支払もあ
りません。いかなる種類の人間と資材のための陸海軍費も、陸軍も、海
軍も、国民軍もありません。歳入事務がなく、大勢の税額査定者や収税
吏もいません。いまの司法官、警察官、執政官、看守などについていえ
ば、あなたの時代にマサチュセッツだけで動かしていた人数で、いまで
は全国に割あててなお多いにあまりがあるのです。あなたの時代のよう
な、社会の富を餌食にする犯罪者階級はありません。肉体の無力のため
に多かれ少なかれ絶対的に働く力を失った人々、あなたの時代に体の利
く人々の大きな重荷となっていた、ちんばや病人や虚弱者、の数は、万
人が健康と安楽の状態のもとに生活しているいまでは、殆ど認められな
いほどの割合に減少しています。そして世代をかさねる毎にますます完
全に消滅しています。
私たちが節約しているもう一つの項目は、あらゆる種類の、以前には
それによって多数の人間が有用な仕事からひきさらされた、金融操作と
関係のある無数の職業と通貨を廃止したことです。まことに、この項目
は過大評価されやすいのですが、あなたの時代に非常な金持ちが無茶な
個人的贅沢につかった浪費は、いまはなくなっていることも考え合わせ
て下さい。また、いまは金持ちにせよ貧乏人にせよ、仕事をしない者が
いない、ごくつぶしがいない、ということを考えて下さい。
昔貧窮の極めて重要な原因は、家庭で洗濯や料理をしたこと、それか
ら私たちが協同作業でやっているその他の無数の仕事を別々にやったこ
との結果としての、労働と資材の莫大な浪費でありました。
これらのうちのどれ、そうですね、全部を合わしたもの、よりも大き
な節約は、かつてはさまざまな階級の周旋屋、卸売商人、小売商人、代
理人、外交員など各種の仲介業者をつかって、不必要な輸送とはてしも
ない取扱に勢力を過剰に浪費して、卸売業者と貿易業者と一般商人がやっ
ていた仕事が、私たちの分配体制の組織によって十分の一の人数が車一
つまわさずに遂行されることです。私たちの分配体制の組織によって十
分の一の人数が車一つまわさずに遂行されることです。私たちの分配体
制がどういうものであるか、あなたはいくぶん知っていられます。いま
の統計学者は、いまの労働者の八十分の一でもって、あなたの時代に全
人口の八分の一を要した分配のすべての過程にあたるに足ると計算して
います。昔はそれだけの人数が生産労働に従事する人数からひきさられ
ていたのです。」
「私はあなたがたがその大きな富を得られるもとがわかりはじめました。」
「旦那、起こせと言われてた時間よりすこしすぎてますが。いつものよ
うにはやくお目ざめでねえもんだから。」
その声は私の下男ソーヤーの声だった。私ははっとしてベッドにつっ
立ち、あたりを見まわした。私は自分の地下室にいた。私がそこにいる
時にはいつもその部屋にともっているランプのやわらかい光が見慣れた
壁と家具をてらしていた。ベッドの傍らには、催眠術による眠りからさ
めしだいに、不活発な肉体の機能ををさますために、ドクター・ビルズ
ベリが処方してくれたシェリー酒のグラスを手にもって、ソーヤーが立
っていた。
「すぐに飲んだ方がようがすよ、旦那、」と、私がぽかんとして見てい
るので、ソーヤーが言った、「少々額が赤いようでがすよ、旦那、だか
らこれをのんだ方がええ。」
私はそののみものを、一口にのみほした。すると私の経験したことが
わかりはじめた。それはもちろん極めて明白だった。二十世紀に関する
ことはみな一場の夢であった。
「僕はゴルゴタにいってきました。」と私はついに答えた。「僕は人類
が十字架にかかってるのを見たんです! あなたがたがほかのことを考
え話すことができるとすれば、太陽と星がこの市のどういう光景を見お
ろしているか、知ってる人は一人もいないんですか? あなたがたの戸
口のじきそばで、男と女、あなたがたの肉の肉の一大群衆が、生まれて
から死ぬまでが一つの苦悶である生活をしている、ということを知らな
いのですか? きいてごらんなさい、彼らの住居はじき近くにあるのだ
から、あなたがたがその笑いをやめたなら、彼らのかなしみの声、貧窮
を乳としてのむ小さい者たちのあわれな泣き声、困苦に浸って半ば獣類
にまいもどった男たちのしわがれた呪祖、パンのために身を売る女の大
群の冷やかし声がきこえます。あなたがたはこういう陰惨なもの音をき
かないために何でもって耳をふさいだのですか? 僕にはほかの音は何
もきこえません。」
飢餓に悩む国民がなおざりにしていた機能をとりあげて、共同の福祉
のために生命を与える水流を規整したならば、地球が一つの花園のよう
に花咲き、その子は一人として好いものにことを欠くことはなくなるで
あろう。豊富を恵まれ、正義によって鈍化され、同胞的親切によって美
しくされたその新しい世界、まこと私が夢に見ただけではあるが、いか
にも容易に実現することのできるその世界のことを私は熱誠をもって話
した。しかし私がこんどこそはきっとまわりの人の顔が私の感情に似た
感情によってかがやくものと期待してみた時、それは前より一層暗く、
怒った、軽蔑した顔になった。婦人たちは熱心をではなく、ただ嫌悪と
おそれを示し、男たちは叱責と侮蔑の叫びをもって私の話しを中断した。
「気違い!」「きたない男だ!」「狂信者!」「社会の敵!」という叫
びもあった。前に眼鏡をかけて私を見た男が叫んだ、「貧乏人がもうな
くなるてなことを言ってる。はッ! はッ!」