title:SF ver.1.0.j
木村応水 作
1997


 『自然科学と社会科学』 ジュリアン・ハクスリー
 ところで、今日、われわれは、ふたたび、科学の新しい時期を始める
過程にあるように思われる。すなわち自然現象のみならず社会現象も科
学的理解と合理的支配に服するものとなる時期である。


 『O=ゾーン』 ポール・セロー
 ムーラに笑いかけながら、彼は本のタイトルを見せた。『タイタンの
時間の支配者たち』彼女は笑いたかったが、彼の熱狂ぶりが恐ろしくも
あった。本は必ずSFで、とっくに流行遅れの代物に決まっていた。
「読みますか?」キャプテン・ジェニックスが訊いた。
「いいえ、せっかくだけど」曖昧に、礼を失しないように答えた。
「ほかにもたくさんあるんです。気にいるのがあるかもしれない」彼は
かがみこんで、一山のペーパーバックを取り出した。探検隊や、ピルグ
リムや、月面基地のけばけばしい表紙。彼は一冊ずつタイトルを見せた。
『プランクの移住者』『嵐の大洋のの下で』『朔望月』『月の極致』
『静かの庭』『氷の海横断』『豊かさへの出発』
「せっかくだけど」ムーラは言う。一種独特な信仰の書みたいだった。
なんだか狂信的で、気味悪かった。


 『ブレーン・マシーン』 ジョージ.O.スミス
 彼は他にも何かしてみようとした。しかしジェークはかつて住み込み
の捜し屋の小僧を使ったことがなかったわけだから、遊びのための道具
はほとんどなかった。ジミーはそこで読書をすることにした、もちろん
それはジェークの読む本で、SF小説とお色気物語がほぼ同数あった。
SFは面白かった。しかし彼はお色気小説になぜ関心をもてないのかよ
くわからなかった。とにかくジミーは読書をつづけた。ジェークはいつ
もの彼に似合わず、この子供のためにSF小説を何冊か買ってやるよう
なことさえした。


 『放浪惑星』 フリッツ・ライバー
「おお、サイエンス・フィクションはぼくの食物と飲み物だ。ええと、
ともかく食物ではある。反吐? おそらくきみは『フェアリー・クイー
ン』の火を吐く竜、エラーのことを考え、そいつがスペンサーの陳腐な
憎悪に従って、H.G.ウェルズ、アーサー・C.クラーク、エドガー
・ライス・バローズなどの作品集を吐き出すところを空想していたんじゃ
ないのかね?」
 ヒラリーの声がけわしくなった。「サイエンス・フィクションは、人
間よりもむしろ現象を扱うすべての芸術形式と同様くだらんものだ。き
みもそれを知るべきだよ、ダイ。それとも、ウェールズ人の心には暖か
さってものがないのかね?」


 『地球時代の文化論』 M.ミード
 人生経験の少ない若い作家の書いた二十世紀中葉のSF小説は、経験
も豊かで洗練された人びとの耳には絵空ごとのように響いたし、教養あ
る人たちにはイカロスとディーダラスの神話のほうがよほど面白かった。
そこには人間や神々のことから飛行のメカニズムまで描かれていたから
である。大かたの科学者も同世代の人びとと同様、想像力に欠けていた
から、現代のSF作家の夢を共有できなかった。


 『複雑系』 M.ミッチェル・ワールドロップ
「高校のころすでに、自然における自己組織化について考えていた」と
ファーマーはいう。「もっとも、はじめはSFを読んだのがきっかで、
ただぼんやり考えていただけだけどね」。ファーマーが特によく覚えて
いるのがアイザック・アシモフの『最後の問い』で、はるか未来の人間
たちが宇宙のスーパーコンピュータに熱力学第二法則を働かなくする方
法を問うという話だ。この法則が働いているかぎり、宇宙には、原子が
無秩序化し、すべてのものが冷え、崩壊し、終局を迎えるという避けが
たい流れがある。この分子スケールの無秩序さの増大、つまり物理学者
のいうエントロピーの増大を、どうしたら逆転させることができるか、
と彼らは問うのだが、結局、人類が消滅し、すべての星が冷たくなった
そのずっとあとに、コンピュータはこの大偉業を成し遂げる方法を見つ
ける、そして「光あれ!」とのたまい、まったく新しい低エントロピー
の宇宙を生じさせる。

 科学の役割はじつにさまざまだ、ドイン・ファーマーはいう。事実や
データを体系的に蓄積するのも科学である。それらの事実を説明する論
理矛盾のない理論を構築するのも科学である。また、新しい材料、新し
い薬、新しい技術を発見するのも科学である。
 しかしほんとうは、科学の役割は語り部、この世界がどんなものなの
か、また、この世界がどのようにしていまのような姿になったのかを説
明する物語を語ること、にある、とファーマーはいう。