title:鬼薔薇物語 ver.2.0j
木村応水 作
1997
『次郎物語』 下村湖人
時として彼は、母や祖母の前で、ことさら殊勝なことを言ったり、し
たりしてみせた。むろんそんなことで、母や祖母が、心から自分に対し
て、好意を寄せるようになるだろう、とは期待していなかった。しかし
彼らを油断させる何かのたしにはなると思ったのである。
もし、周到な用意をもって、大胆にことを行なうということが、それ
だけで人間の徳のひとつであるならば、彼は、こうした生活の中で、す
ばらしい事上練磨をやっていたことになる。しかし、策略だけの生活か
ら、必然的に育つもののひとつに残忍性というものがあるのだ!
次郎は、毎日庭に出ては、意味もなく木の芽をもみつぶした。花壇の
草花にしゃあしゃあと小便をひっかけた。とんぼを着物にかみつかせて
は、その首を引っこ抜いた。蛙を見つけては、のがさずふみつぶした。
蛇が蛙をのむのを、舌なめずって最後まで見まもり、のんでしまったと
ころをすぐその場でたたき殺した。隣の猫をとらえて、たらいをかぶせ、
その上にれんがを三つ四つ積み上げて、一晩じゅう忘れていた。
由夫と竜一とは、学用品を入れた雑のうを道に放り出して、いなごの
首取り競争を始めている。いなごをとらえては、それを着物の襟にかみ
つかせて、急に胴を引っぱると、首だけがすぽりと抜けて襟に残る。そ
れはいかにも残酷な遊びなのである。
「僕、もう五匹だぜ。」
と、由夫がにやにやしながら言う。
「僕だって、すぐ五匹だい。」
竜一は額に汗をにじませて、少しあせっている。
「早く十匹になったほうが勝ちだぜ。」
「うむ。よし。」
「僕が勝ったら、何をくれる?」
「ナイフをやらあ。」
「じゃ、僕負けたら色鉛筆をやる。」
「ようし、‥‥ほら五匹。‥‥あっ、畜生、またはずしちゃった。こい
つ、うまくかみつかないなあ。
竜一はそう言って、にぎっていたいなごを気短に地べたに投げつけた。
「ほら、僕、もう六匹だぜ。」
と、由夫はますますおちついている。
「くそ! 負けるもんか。」
竜一は顔をまっ赤にして新しくいなごをつかまえにかかった。
由夫は村長の次男坊、竜一は医者の末っ子である。隣同士なせいで、
よくいっしょになって遊びはするが、両家の間にへんな競争意識があっ
て、それが自然二人にも影響しているためなのか、心からは親しんでい
ない、性格から言っても、竜一は単純で、無器用で、よくおだてにのる
子であるのに、由夫は、ませた、小知恵のきく子で、どうかすると、遠
まわしに竜一の親たちの陰口をきいたりする。かけごとではむろん由夫
がうわ手である。きょうも、彼は、竜一をうまくおだてて、いなごの首
取り競争を始めたところなのである。
そこへ次郎が、ぼとぼとと草履を引きずりながらとおりかかった。彼
はこのごろ、仲間たちとあまり遊ばない。学校の帰りにもたいていは一
人である。
「おい、次郎ちゃん、見ててくれ、僕、勝ってみせるから。」
と、由夫が彼を呼びとめた。
次郎は、これまで自分にも経験のある遊びではあったが、首だけにな
ったいなごが、いくつもいくつも、二人の着物の襟にくっついているの
を見ると、あまりいい気持ちはしなかった。生き物の命を取ることが、
このごろの彼の気持ちに、何となくぴったりしなくなっていたのである。
彼は、しかし立ちどまって、しばらく二人のようすを眺めていた。
竜一は、次郎に見られていると思うと、いよいよあせって、無理にい
なごを襟におしつけた。いなごは、しかし、そのためにかえってかみつ
かない。
「竜ちゃん、僕、もう八匹だぜ。」
と、由夫は、横目で次郎を見ながら言う。
次郎はふだんから嫌いな由夫が、いやにおちついて、竜一をじらして
いるのを見ると、むかむかし出した。
「竜ちゃん、よせ、そんなこと、つまらないや。」
彼は由夫の計画をぶちこわしにかかった。
「いやだい、もうすぐ追いつくんだい。」
竜一は、しかし、かえってむきになるだけだった。
「よしたら、竜ちゃんが負けだぞ。」
由夫はずるそうに念をよした。彼はもうその時、九匹目をかみつかせて
いたのである。
「そら、九匹。‥‥もうあと一匹だい。」
そう言って、彼はいなごの胴を引っぱった。胴はすぐちぎれた。そして
あとには、寒天のような白い肉がぽっちりと陽に光って、青い首の下に
垂れさがっていた。
とたんに、次郎の心はしいんとなった。彼は、ふと亡くなったお祖父
さんの顔を思い出したのである。しかし、それもほんの一瞬であった。
次の瞬間には、彼はもう由夫の胸に猛然と飛びついて、いなごの首を残
らず払い落としてしまっていた。
「ばかやろう、何をしやがるんだい。」
由夫はよろめきながらこぶしをにぎって振り上げた。しかし、その姿勢
はむしろ守勢的で、目だけがいたちのように光っていた。
「竜ちゃん、帰ろう。」
次郎は、平気な顔をして竜一の方を向いて言った。
竜一は、まだその時まで、いなごを一匹手ににぎったまま、ぽかんと
して二人を見ていたが、次郎にそう言われると、すぐそれをなげすてて、
「僕んところに遊びに行く?」
「うむ、行くよ。」
二人はすぐ歩き出した。歩きながら、竜一は、自分の胸にくっついてい
る、いなごの首をはらい落とした。
「おぼえてろ! 竜ちゃんもおぼえてろ!」
由夫は無念そうに二人を見おくりながら、なんども叫んだ。
彼は、以前の悪癖がなおらないで、このごろでもしばしば生きものを
殺した。しかし、殺したあとでは、いつもへんに、気味悪い感じになる
のであった。そんな時に、彼がよく思い出すのは、村はずれの団栗林だ
った。そこには小さなほこらが祭られていたが、そのほこらのまうしろ
の、一番大きい団栗の幹に、大くぎが五本ほど打ちこんであるのを、か
つて彼は見たことがあった。村の人たちの話では、だれかが人を呪って、
この両眼と両耳と口とをきかなくしようとしたものだ、ということだっ
た。なるほど、そう聞くと、くぎの位置が、ちょうどそんなふうになっ
ていた。次郎には、運命というようなものを考える力はなかったが、思
わぬ敵や、災いが、どこにひそんでいるかわからぬ、といったような感
じが、そんなことから、いつとはなしに、彼の胸に芽生えはじめていた
のである。
『結ぼれ』 R.D.レイン
彼らはゲームをして遊んでいる。彼らはゲームをして遊んではいないふ
りをして遊んでいる。彼らが遊んでいるところを私が見物しているのを、
彼らに見せつけようものなら、私はルール違反することになり、そして
彼らは私を罰するだろう。
私がゲームを見物しているのを見ないでいるのが彼らのゲームなのであ
って、私は彼らの仲間に入って遊ばなくてはならない。
『デボノ博士の「6色ハット」発想法』
単に演技をしていることがはっきりしている場合、「馬鹿を演じる」
ことはさほど気にならない。巧みな演技をし、馬鹿になりきっているこ
とを得意に思うことすらある。ここでは、演技することが、どれだけ目
的を達成したか、また、その出来具合を測るものさしとなる。役割が前
面に出て、自我は舞台監督になる。
『Yの悲劇』 エラリー・クイーン
「ヨーク・ハッターの小説の舞台と登場人物は、実在なのです」
「実在?」と警部はつぶやいた。「何のことです?」
「犯人は、ジャッキーだったのです」
全世界が活動を停止したように思われた。にわかに、風が落ちた。ス
ワンが水の上をすべっていったが、一同の視界のなかで動くものはそれ
だけだった。やがて、彼らの背後のどこか遠くのほうで、クエーシー老
人がエーリエルの噴水の金魚を追いまわしながらあげる陽気な声が聞こ
えた。その声で、彼らはわれにかえった。
レーンは振り返った。「信じられないでしょうな?」と彼は言った。
サムはせきばらいをしてしゃべろうとしたが、声が出ないので、もう
一度、せきばらいをした。
「ええ」やっと、彼は言った。「信じられませんね。とても私には‥‥」
「そんなはずはありませんよ、レーンさん!」とブルーノが叫んだ。
「まったくばかげたことです!」
レーンはため息をついた。「もっともです‥‥いまと違う反応を示す
ようだったら、それこそあなたがたがどうかしているということになり
ますよ」と彼はつぶやいた。「しかし、これから申しあげる私の説明が
終わるまでには、おふたりとも、納得なさることでしょう。わずか十三
歳のジャッキー・ハッターが、ようやく青春期の端にたどりついたばか
りの、こんなことには幼児といってもいい子でもが、三回にわたってル
イザ・キャンピオンに毒を盛ったのです、ハッター夫人の頭をなぐって
殺してしまったのです、また‥‥」
「ジャッキー・ハッター」とサムはつぶやいた。「ジャッキー・ハッター」
その名まえをくり返せば、事件の意味が何かつかめるかのように、彼は
くり返した。「いったいどうして、やせた犬ころみたいな、たった十三
歳の小僧が、あんな大それたことを計画して、それをやり通すことがで
きたのです? そんなことは、ばかげていますよ! だれが信用するも
のですか!」
ブルーノ地方検事は、考え深そうにかぶりを振った。「まあ、サム、
そう興奮してはいけない。落ち着けば、すくなくとも、その問題の答え
はわかるはずだ。十三歳の子どもだって、すっかりおぜん立てのできて
いる犯罪の筋書どうりに行動することは考えられないことではないよ」
レーンは、ちょっと口をつぐんでため息をつき、スワンを見つめた。
「しかし、実際のところ、これはあまりにもばかげた結論だったので、
私はすぐに捨ててしまいました。あのような子どもが、おとなの知能が
なければできるわけのない複雑な計画をつくりあげ、しかも殺人者であ
るとは? ばかげているではないか! 警部さん、さきほどのあなたと
まったく同じように、私も感じたのです。自分で自分を笑いました。そ
んなことがあるはずがない。どこかで、自分の考えがまちがっているの
だ。さもなければ、背後におとながいて、あの子どもをあやつっている
のだ。私は、どこかにひそんでいる、見たこともないおとな、まるで一
寸法師のように、四フィート八インチか九インチのおとなのことさえ空
想してみました。しかし、これもばかげていました。私には考えようが
なくなったのです。」
「私には見きわめがつきました。もはや、狂気じみていようとも、十三
歳のジャッキー少年が真犯人であることは疑いようがありませんでした。
とっぴではあるが、疑問の余地がないのです! それにしても、彼の計
画は手がこんでいて、巧妙で、疑いもなくおとなの知能を思わせるもの
があります。いかに早熟であろうとも、十三歳の子どもがひとりで考え
だしたものとは、どうしても思えません。そこで、何の躊躇もなく、こ
れだけのことが言いきれると思いました、考えらえる解釈は、ただ二つ
しかない。一つは、裏面にだれかおとながいて、そのおとなが計画をた
て、ジャッキーにその筋書どおり実行させているのであって、ジャッキー
は単にその道具にすぎない‥‥しかし、これは明らかにあやまっていま
す。もっとも頼りにならない人間である子どもを、おとなが道具として
使うでしょうか? 可能性はあっても、実際にはありそうもないことで
す、その子どもは、子どもらしい価値判断の不足から、あるいは、単な
るいたずら心やからいばりから、自分の秘密をもらすかもしれませんし、
また、警察の尋問をうけたとたんに失敗して口を割ってしまうかもしれ
ません。ですから、そのおとなは途方もない冒険を覚悟しなければなら
なくなります。もちろん、暴力的なおどかしで子どもというものは透明
なものです。ジャキーの態度には、終始、おどかされたための恐怖で行
動している子どものような箇所はまるで見当たりませんでした」
「その点に関しては、異存はありませんね」と警部がうなり声で言った。