『凡庸な芸術家の肖像』のソースは、
『ハイパーテクスト』
ジョージ・P・ランドゥ 著
若島 正・板倉厳一郎・河田学 訳
ジャスト・システム

p316-
オースティン女史の投稿

 自宅でこっそりと「投稿をしたいと思う者もいることは彼女も知って
いた。そんな一大事を成し遂げるためには何とか自分をその気にさせな
いといけないような臆病者だと、外出中に出くわしたフォンポートで、
思いきって投稿したりする。しかしオースティンは、伝統的なやり方で
やろうと決めていた。それが正しいやり方だと思うのだが、ひょっとす
るとそういう昔ながらのやり方がいちばん安心できるだけなのかもしれ
ないのは、自分でもよくわかっていた。とにかく、彼女は早起きして、
シャワーを浴び、一張羅を着て、作家の卵たちがたむろするリヴ・ゴー
シュというレストランで贅沢な朝食をとり、文化庁へと足を運び、その
正面玄関に立った。
 慎重に深く息を何度か吸ってから、彼女はこの近寄りがたいビルディ
ングに入り、エレベーターを探してウエスト・タワーの89階へと向か
った。40階をすぎると一人きりになって、出会うことすべてを何かの
前兆と考える迷信深い彼女は、自分が一人だけ速くあがれる幸運な人間
なのだろうか、数少ない成功者の一人になれるだろうかと考えた。エレ
ベーターがゆっくりと停止し、そのブロンズ色のドアが開くと、彼女は
機械的にエレベーターを降りた。だが、廊下を歩き始める前に、見習い
作家なら誰でも見覚えはあるものの、それが本当に目的の階なのかと確
かめた。念には念を入れているようなふりをしながら、その実、内心で
はおどおどしているのに照れ笑いを浮かべながら、彼女は自分自身に説
教を始めた。ときにはそれが数時間も続くことだってあるのだ。「いい
加減にしなさいよ、ここで合っているじゃない。すぐわかったくせに。
ジェイン、廊下に並んでる肖像の偉人たちの名前だって、もう百年も変
わってないんだから、そらで言えるでしょ。この前ひどい目にあったと
きから、間違いなく変わっていないわ。左側の最初の三つはシェイクス
ピア、ホメロス、ダンテ、右側のはウルフにディッキンソンにジョーン
ズよ」
 廊下の終わりまで来ると、オースティンは立ち止まって深く息を吸い、
「投稿」と書かれたドアを開けた。いざここまで来てしまうと、早まっ
たのではないかと心配になる。自分の物語はまだ充分ではないかもしれ
ない。口の中が乾いたので、何度か唇を舐めまわしてみたが無駄だった。
「落ち着きなさい」と彼女は自分に言い聞かせた。「これ以上待ったっ
て意味はないんだから。これまでで最高の出来だってわかってるじゃな
い。それはよくよくわかってるはずよ。先週形になりはじめたときから、
これこそ絶対だって思ってたじゃない」。彼女はさらに付け加える。
「それにまだ二回目の投稿なのよ。何かの間違いで受理されなかったと
しても、もう一度チャンスはあるんだから」
 ぼやぼやしている時間なんかないと心に決めると、若いオースティン
は中央コンソールに力強く脚を踏み入れ、掌を認識パッドに押しあて、
自分の作家パッドを差し込んだ。そして普段よりいささか深みのある枯
れた声で、「私、見習い作家ジェイン・オースティンは、投稿を希望し
ます」と言った。
「どうも、オースティンさん」と朗々としたアルトの声が返ってきた。
「あなたは今回二度目の投稿です。もし今回の投稿が受理されなかった
場合、残る機会はあと一回のみとなりますがよろしいでしょうか」
「はい」
「白いボタンを押して、投稿を行ってください」
 オースティンは、勝っても負けても、本物の作家みたいに堂々と投稿
しようと自分に言い聞かせていた。目を閉じたり、ため息をついたり、
お祈りをしたりなんかしない。これまで何千の指が押してきたし、これ
からも何千の指が押すはずの、白いボタンを黙って押すだけだ。
 オースティンは勇気を出すために、昨日はどれほど自信があって、ど
れほど提出原稿を完成させようと思っていたかを思い出した。実際、書
き物机に座った係員(いつも流行遅れの似合わないスーツを着ている6
0代の男性だった)が彼女の方を向くと、名前を呼ばれる前に彼女はす
でに待合室の席を立ち、ドアへと向かっていた。「14番、オースティ
ンさん」と彼が哀しげなかぼそい声で言うと、彼女は振り返り、作業室
へと続くドアを開けた。頭の中で1、2、3、4と廊下の右側のドアを
数え、14番の部屋へと進んでいった。その部屋は最近修理された部屋
のひとつだとすぐわかった。掌を認識パッドにあてるが、これで作業室
の使用料が中央銀行の彼女個人の口座から引き落とされることになる。
ドアが開くのを待ってオースティンは、興奮を抑えられぬまま、これか
ら4時間自分の作業部屋となる小さな部屋に入った。作家パッドの入っ
たケースを肩からおろし、その使い古されたライトブルーのケースを開
き、目の前の小さな棚にポータブル・ライターを差し込んだ。このポー
タブル・ライターは6年前、作家を職業にすることを宣言した際に文化
庁から支給をされて以来、ずっと彼女のものである。作家席に座ると、
椅子はたちまち身体に合わせてその形を変えた。
「ようこそ、オースティンさん」という声が、左やや後方から聞こえて
きた。この部屋では音はいつもその方向から聞こえてくることを彼女は
思い出した。「今日は着想か編集にもってこいの環境を選りすぐって提
供します。最初は、6月25日のプエルトリコ沖。静かな波がよく似合
う穏やかな海の景色です。ローマ賞を受賞したアンドロス・ヴァン・ヒュ
ーレンも、そのすばらしい散文叙事詩の山場となる第三章を書く際に用
いました。次は8月1日のヒマラヤ山脈。人間やら他の注意をそらすも
ののない、涼しい環境です。あなたの前回の投稿後に新たに加えられた
三番目の環境は、アマゾン流域、2月3日のジャングルの光景です。他
の新しい環境とは対照的に、エネルギーや変わった動物に満ちあふれて
おり、追加料金を払う価値が充分あります」呼び売り商人と化した機械
が続ける。「若い作家の皆さんにも、すでに使っていただいており、こ
の環境で仕上げた作品は気のりのしないものでもすばらしいと好評です」
「ありがとう、サラウンド。だけど今日はよくしってるおなじみのやつ
にしておくわ。ブラウニングの書斎をお願い。個人化ヴァージョンナン
バーは、32-345Bよ」。するとただちに窮屈な作業ユニットが動き、
気がつくと彼女は、クルミ材の壁の部屋の、原稿やら皮に覆われた長方
形の物体がいっぱい載った大きな樫の作業机に座っていた。これに似た
ものは何百年以上も昔にしか存在しない部屋である。このロバート・ブ
ラウニングなる人物がいったい何者で、どんな作品を書いた人間なのか、
たとえば冒険物語を書いたのかエロティックな叙事詩を書いたのかとい
ったことすら知らなかったが、初めてそこを訪れしょっちゅうは使われ
ないシナリオに目を通していたときから、ブラウニングの仕事部屋だけ
は心の落ち着く思いがしていたのだった。この大昔の作家の仕事部屋の
彼女の個人化ヴァージョンに定められている現実に合うように、サラウ
ンドが室温を調整すると、彼女はわずかに室温が下がるのを感じ取った。
 彼女が作家パッド・モデル73-2のスイッチを入れると、ほんの数時
間前、眠る前に最後に開いたワードファイルが自動的に呼び出された。
昨日の午後の彼女は火がついたようで、注意や精力を他の何にも費やし
たくなかったため、最後の物語(彼女はそれこそが自分の最高傑作だと
信じていた)が探し求めていた結末に行き着くまで創作を続けたのだっ
た。家に帰ってしわくちゃのシーツに身を投げ出して眠るまではあれほ
どまでに完全に思えた文章が、今日は不器用で不正確に思われるのでは
と心配になり、彼女は神経質そうに左手を口やら頬やらに擦りつけた。
彼女はこの物語を長いこと待ち望んでいた。初心者が必ずやるように、
自分こそが勝者だと自分自身を騙してしまうのではと心配になるぐらい
長いこと。いや、今度は自信がある。今回の投稿こそ文化庁を動かして、
クラス1C見習い作家から作家に昇進するのだ。
 他の何千もの学生や見習い作家と同じく、成功を夢見ることにあまり
に多くの創造力を浪費してきたことは彼女も知っていた。もちろん家に
自分の作業ユニットがあったらずっと便利だろうと考えていたし、他の
誰とも同じで昇進に伴う固定給だって当然欲しかった。万年受験生や作
家の卵のうち大勢は、やがて競争から落ちこぼれて店員かそれ以下で人
生を終わることになる。そうはならずに、本物の作家という身分になれ
たら、それは間違いなくすばらしい。しかしそれを可能にしてくれるの
は、出版、すなわち文学ネットワークへのアクセスを得ることである。
 なるほど、大衆作家とか純文学作家といった身分を得るのとは比べも
のにならないが、とにかく最初のステップには違いない。それ以降のス
テップへと踏み出す勇気を彼女に与え、またそれを可能にしてくれる最
初のステップなのである。本当に大成功を収めた伝説的な見習い作家の
ことを彼女は思いだした。考えてみると、わずか2、3年前のことでは
ないか。名もない若者がこの前の戦争を題材に大衆小説を書いて大ヒッ
トしたのだ。国際ネットワークに載って、それが世界中でヴィデオ化さ
れたのだ。ニューデリーでは奇妙なポップ風の童話ヴァージョンまで出
たし、それがフランスで受けて、主人公を6つの意識だか気分だかに分
けて、それをファンタスマゴリアにしたのがアート・チャンネルで放映
されたこともある。
 今日の彼女は希望に満ちた、快活な気持ちで、ネットワークにも手が
届くと確信していた。気分とは妙なものだと彼女は思った。一週間もし
ない前は、学生、訓練作業、志望作家から認可訓練作業、そしてさらに
小大衆作家、大大衆作家、そしてその上には死後百年以上も作品が残る
純文学作家へと続くこのピラミッドの底に押しつぶされたような気がし
ていたのに、そしてずっと離れたところ、このピラミッドの頂点には、
正典作家がいる。作品はずっと残り、作家になりたくないこどもたちま
で学校で習うことになるような作品を書く人たちだ。
 新しい何かを作るということがやってみるとどれほど難しいことかも
彼女はわかっていた。つらい思いをして、成功への近道はないというこ
とも確かに知っていた。なかでも、成功を求めて格闘する若い作家を主
人公にした小品を書いて、まさに成功の扉をくぐり抜けようとしたとき
のことを思い出すと、恥ずかしい思いを禁じえない。評価装置である文
化庁のゲートウエイ・コンピュータが彼女の最初の投稿に、退屈きわま
りないというそぶりを見せながら、長い経験から生まれた数段上手の知
識で、次のように答えたときのことを思い出すと、身が縮む思いがする。
「なるほど、オースティンさん、若い作家の話ですね。またですか。ど
れどれ、今日だけで8人目ですよ。一人は北アメリカ、一人はヨーロッ
パ、アジアからも二人、あとはアフリカですね。アフリカではどうやら
このテーマが今月の新発見らしい。あなたの作品のエンディングですが、
教室での行動の描写や作家志望の若者たちの夜の議論の描写と同じく、
この作品をタイプ4A.31の芸術家小説の典型にしています。この番号を
控えて図書館で調べてみてください。最新のネットワーク一斉調査の結
果によれば、四千二百四十五の例が収録されているはずです。うち三つ
が正典作品、百三が純文学作品、あとの残りは短命の作品です。
 あなたの投稿は取り消します。作家パッドのこの作品を記録している
部分も消去しました。これでもっと先のある作品にとりかかれるはずで
す。それではご苦労様でした。よい一日を、見習い作家、オースティン
さん」
 あれほどつらい思い出はない、と彼女は思った。しかし、真の創造性
への試みにまつわる思い出もそれに匹敵するだろう。11月に起こった
この最初の事件の一年前、彼女は、作家パッドが接続されている文化庁
のプロット、人物、イメージ生成装置に頼りすぎていたと結論を出した。
それではだめだ、自分の頭で考えるんだ。いつも助言してくれたり、ソ
ース・テクストや豊富な実例にすぐにリンクしてくれるあの優しい声に
助けてもらわなかったら、もっと大変なことになるが。彼女は何時間も、
作家の技巧をあの輝かしい時代、コンピュータの親切な手助けもなく、
作家が実際に「書物」と呼ばれる重たいものを作っていた(という噂で
あったが、それをどうやって保管するのか、そもそもそれをどうやって
読むのか、さっぱり見当がつかなった)時代の栄光へと戻そうと頑張っ
たのだった。文化庁の評価装置をエミュレートするようプログラムされ
ている学校の訓練用評価装置、哀しいかな彼女の努力がどれほど派生的
なものかを指摘されたときの悔しさは忘れられない。その作品は「自分
一人で」(それが彼女が使った言い方だった)作ったものだということ
を強調すると、「見なさい、オースティン」と知ったような声が聞こえ
てきた。評価装置が何をしているのか気がつく間もなく、サラウンドか
ら映像が消え、一連のフローチャート、コンセプト、マップ、メニュー
が現れ、そのいくつかには、「投稿作品の類似プロット」だとか「若い
作家に関する小説四十一作品の類型」といったラベルがついていた。中
でも恥ずかしく思ったのは、あれほど自信を持っていた作品のタイトル、
「若き芸術家の肖像」が、正典作家の、それも頂点に位置する、名前も
聞いたことのないような20世紀の某作家によってすでに使われていた
ことであった。
 最悪だったのは、またしても作家志望の若者の馬鹿げたうぬぼれに関
する講義を聴かされたこと、それも今回は注意深く聞かなくてはいけな
いことだった。必要な文学理論の講義は当然全部とっていたというのに、
評価装置は彼女の理論的ナイーブさ、イデオロギーに関する無知を非難
しているのであった。自分のいちばん問題なところは、必然的創造を強
調する文化庁とは折りが合わない、そしてまたそれを脅威と感じてしま
うほどに強い自意識、自分が独立性に確固たる自信を持っていることだ
と、彼女は認めざるを得なかった。すべては、人間的なものであれ、人
工のものであれ、両者が組み合わされたものであれ、あらゆる知の条件
である言語に遡るのだと、機械が彼女に思い出させるのであった。「見
習いオースティン、われわれはみな、考えを伝えたり現実を形づくるた
めに言語を使うのです。しかし、あなたが共通英語を使うからといって、
あなたがそれを造ったわけではない。今ここであなたが使う単語をまっ
たくあなたがするとおりに組み合わせたものがいまだかつて誰一人いな
かったとしてもです。実際あなたが教えた教師たちは、思慮ある作家が、
自分が言語を話すのと同じだけ、言語も自分を語るものだという事実に
直面しているのだということを何度も教えてきたでしょう。そして、文
学が言語の異なるレベルで、言語的に生成されたコードである以上、あ
なたは自分を自分が造る物語の唯一の支配者であると考えることは許さ
れないのです。オースティンさん、あなたの作家としての仕事は、組み
替えと可能な発見にあるので、起源でもなければ、発明でもない。作者
とはタペストリーを編み上げる人であり、ウールの一本一本の繊維を生
み出す羊ではないのです」
 今ではそういう経験も積んでいるし、自信もある。先生たちはずっと
前から彼女に将来性があると言ってくれていたが、今度こそそれを現実
のものにするのだ。

 オースティンは白いボタンを押し、作品を作家パッドから評価装置に
転送した。これが定められたとおりの投稿方法である。そして彼女は一
歩下がり、待った。七秒をほんの少しすぎた頃、さっきより暖かくずっ
と熱のこもった評価装置のメロディアスな女性の声が告げた。「おめで
とう、作家オースティンさん。あなたの作品は受理されました。次の木
曜日にローカル・ネットワークに掲載されますが、われわれの予想では
大きな注目を集めるでしょう。今日発行される公式の書評と要約を参照
のうえ、作家による要約の確認をお願いします。もう一度おめでとう、
オースティン。大ドイツ、ネパール、日本から翻訳権のオファーがさっ
そく届きました。」

 オースティンは作品を作家パッドから評価装置に転送するため、白い
ボタンを押そうと指を動かした。これが定められたとおりの投稿方法で
ある。彼女は指をボタンの隣に置いたが、少しの間、そしてもう少しの
間じっとしていた。そして差し込んだ作家パッドをゆっくりと抜き取る
と、部屋を出た。そして強い意志の力で自分の身体をぐっと抑えたまま、
エレベーターの方へ足早に戻っていった。

 オースティンは白いボタンを押し、作品を作家パッドから評価装置に
転送した。これが定められたとおりの投稿方法である。彼女は座ったま
まで、目を閉じ、息をこらえていた。10秒もたたないうちに評価装置
がこう告げた。「おめでとう、作家オースティンさん。あなたの作品は
共同作品として受理されました。あなたのテクストは11人の他の作家
の作品と一緒にされることになります。11人の中の2人はあなたのよ
うな新人です。これは非常に名誉なことです。共著者の身元をお聞きに
なりますか?

 オースティンは白いボタンを押し、作品を作家パッドから評価装置に
転送した。これが定められたとおりの投稿方法である。彼女がボタンか
ら人差し指を離す間もなく、評価装置の母親のようなしっかりとした声
が優しくこう告げた。「お気の毒ですがオースティンさん、あなたの作
品は受理されませんでした。狼狽したりしないでください。次は作品が
受理されネットに載るかもしれないのですから。この一週間はいつにな
く多くの作品が提出されたのです。もし眠るのに精神安定剤か何か必要
でしたら、お近くの薬局に処方箋を書きますか」