title:バベルの美術館 ver.1.2j
館長 木村応水
1995

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The Holy Bible
  Come, let us go down, and there confuse there
language, that they may not understand one another's
speech.
 
さあ われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、
 互いに言葉が通じないようにしよう。(創世記11章7節)
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『茶の本』 岡倉天心
 宋のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若い
ころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従
って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを
称揚した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないの
は、誠に嘆かわしいことである。われわれは、手のつけようのない無知
のために、この造作のない礼儀を尽くすことをいとう。こうして、眼前
に広げられた美の響宴にもあずからないことがしばしばある。名人には
いつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力が
ないために飢えている。


 『現代美術コテンパン』 トム・ウルフ
 社交界や文化人は、美術家と同様に“大衆”、烏合の衆や中産階級な
のではない。1950年代に、社会学者たちが計量社会学というものを
完成させようとしましたよね。誰か軸になる人物の、あるコミュニティ
リーダーAはブルーの線、同じくリーダーBは赤線、リーダーCはグリ
ーンの線、お役人のYは黄土色の点線、というふうにしていくと、そう
いう線は、まるでソニーのソリッド・ステイト・パネルが幻覚をおこし
たように、ぐるぐるまわり、あちこちで交差しはじめる。そこでそれで
は、そういう地図の美術界版をつくってみるとすれば、それは、(美術
家に加えて)およそ次のような数の文化人でなりたっていることがわか
るだろう。つまり、ローマに750人、ミラノに500人、パリに17
50人、ロンドンに1250人、ベルリン、ミュンヘン、デュッセルド
ルフに2000人、ニューヨークに3000人、そしてそのほかの世界
各地に1000人。これが美術界なのだ。八つの都市の美術社交界に限
られる推定一万人、ほんのちゃちな村にすぎないのである。


 『ゲーテとの対話』 エッカーマン
 「不幸なのは」とゲーテは言った、「国家の場合では、誰一人として
生活を楽しもうとする者もなく、みんながよってたかって支配したがる
ことであり、芸術の場合では、みんながみんな創造されたものを享受し
ようとせず、自分の手でまた創造しようとすることである。
また、だれも自分の目指す進路と同じ文学作品を範として、文学開眼し
ようとは考えずに、みんながみんな、またぞろ同じものをつくろうとす
る。
さらに、全体の中へ入って行く厳しさもなければ、全体のために何か役
に立とうという心構えもない、ただただどうすれば自分を著名にできる
か、どうすれば世間をあっといわせることに大成功するか、ということ
だけをねらっている。こういう間違った努力が、いたるところに見られ
る。最近の名演奏家ときたら、聴衆が純粋な音楽を楽しめるような曲目
には目もくれないで、むしろ自分の腕のよさを感嘆させることができる
ような曲目を選んで演奏しているが、みんながそれを見ならっている。
いたるところで、一人一人が自分を立派に見せようとしている。どこへ
行っても、全体のため、仕事のために自分自身のことなど気にならない
ような誠実な努力家は見あたらない。
おまけに、人間というものは、自分でもそれと気付かぬうちに、拙い創
作に陥ちこんでしまっているものだ。子供のときからもう詩をつくりは
じめ、それを続けていって、青年になると、自分もいっぱしのものが書
けそうだと思う。やっと大人になって、世の中にあるすぐれた作品が洞
察できるようになると、間違った、あまりにも不十分だった努力のおか
げで失ってしまった長い年月にあらためて驚くことになる。
それどころか、完成されたものも知らず、自分の不十分さに気付くこと
もなく、死ぬまで生半可なものをつくっている人が大勢いるのだ。
もし、一人一人が、いかに世界が優秀な作品で満ちあふれているかとい
いうこと、また、このような作品に比肩できるものをつくるには、何が
必要かということを、手遅れにならぬうちに自覚するようになれば、今
日の文学青年百人の中に、それと同じような巨匠の域に達するために、
じっくり仕事を続けるだけの忍耐と才能と勇気を心中に感ずることので
きる者は、ほとんど一人もいないことはたしかだ。
若い画家たちにしても、ラファエロのような巨匠が実際にどんなものを
描いたかを、ずっと早いうちに、知ったり理解したりしていたなら、そ
の後は絶対に絵筆など手にとらなくなるものがきっと多かろう。」
話は、誤った傾向一般のことに転じ、ゲーテは語り続けた、
「そういうわけで、私自身の造形芸術を実際にやってみようという傾向
も、もともと間違ったものだった。というのも、私には、それに対する
持って生まれた素質がなかったために、そいういうものを自分の中から
発展させることができなかったからだ。まわりの風景に対するある種の
多感性は、私にもそなわっていたから、最初のスタートぶりは、実際前
途有望であった。イタリアの旅が、この、絵を実作する楽しみを破壊し
てしまった。広い視野が生まれたかわりに、肝心の能力の方が消えてな
くなった。そして、芸術の才能というやつは、技術によっても、美学に
よっても、発展するものじゃないから、私の努力は無駄になったわけだ。
わかりきったことだが」とゲーテは続けた、「人間の持っているさまざ
まの力を同時に育てることは、望ましいことであり、世にも素晴しいこ
とだ。しかし人間は、生まれつきそうはできていないのであって、実は
一人一人が自分を特殊な存在につくりあげなければならないのだ。しか
し、一方また、みんなが一緒になれば何ができるかという概念を得るよ
うに努力しなければならない。」


 『東方の旅』 ネルヴァル
 「生まれてくるのが遅すぎた。世界は古すぎる。老いたものは弱い。
おまえの言うのももっともだ。退廃と堕落だ! おまえは冷ややかに自
然を模倣している。麻布を織るかみさんのような仕事は、牛虎獅子の雌
と物真似で競争するのが関の山だ。・・・・・おまえが作っているよう
なものは、やつらもちゃんと作っている。しかも、形だけじゃなく生命
もこめられている。いいか、芸術はそんなものじゃない。創造だ。この
軒蛇腹に沿ってのたくっている模様を描くとき、おまえは地面に這いず
っている花や葉っぱを真似するのかね? そうはするまい。おまえは作
りだすんだ。奇想を縦横にまじえながら、想像力の赴くままに小刀を走
らせる。そうなんだ。ありきたりの人間や動物の傍らに、未知なる形、
名づけようもない存在、その前では思わず尻込みするような化身、恐ろ
しい結合体、どうしても敬意や、喜びや、驚愕や恐怖を覚えずにはいら
れないような形象を求めるんじゃないか? 古代エジプト人や、アッシ
リアの素朴で大胆な芸術家たちのことを思い出してみるがいい。やつら
は花こう岩の内奥から、あんなスフィンクスだの、犬面のヒヒだの、玄
武岩の神だのを彫り出したのだ。それを見てダビデじいさんのエホバの
神は腹を立てたものさ。時代がかわっても、あの恐ろしい象徴を見れば、
昔は天才がいたものだと繰り返し言うことだろう。あの人たちは形式な
ど考えただろうか? そんなものには鼻もひっかけない。やつらは自分
たちの創造に自信があったがために、万物を作るものに向かって叫ぶこ
とができたのだ。おまえには、この花こう岩の怪物を思いつくこともで
きなければ、命を吹き込む勇気もあるまい。自然の多元の神によってく
びきに繋がれて以来、おまえたちは物質の制約を受け、才能は腐り果て、
卑しい形骸に堕した。芸術は失われた。」
 悲しいかな! 振り返れば、頭上には、サラディンの古い宮殿の最後
の赤い列柱が残っている。その、精霊の宮殿のように大胆で優美で、し
かし、脆く、束の間のものでしかない輝かしい建築の残骸の上に、つい
最近、大理石とアラバスターの、美しさも個性もない四角い建物が建て
られたのだ。この穀物市場でもありそうな建物が、モスクになるはずだ
という。たしかに、マドレーヌ(パリの擬古典風教会)が教会であるが
ごとく、それも、モスクになるのだろう。近代建築は、神の住まいを建
てるにあたって、いずれ信仰が途絶えた折には他のものに転用できるよ
うな配慮を怠らない。
 

『人類最後の日々』 カール・クラウス
ファロータ
 ところでだ、言いたいことは言やいいんだけどもだ、われわれは芸術
 愛好の民だよ、諸所方々の名所旧跡、一つとして傷つけたりせんさ。 
なに、ちょうど、こいつを読んだところだがね。『ドイチェス・フォ
ルクスブラット』さ、わが戦線報道班通信占領地域内の教会や修道院
 といったギリシャ=オルトクセ、いや、なに、オルドドクセ、つまり
 さ、正統派(オルドドクセ)教会をレストランやカフェや映画館に改
 造しておるというデマをばらまいておるそうだ、まさにデッチあげの
 中傷じゃないか。周知の通りわれわれオーストリア軍はだ、ま、ドイ
 ツ軍も無論そうだがさ、敵国の教会とか修道院ってのは宝物あつかい
 でさ、当戦争においてもこの鉄則を無視した兵など一人だにおらんよ、
 明らかなる事実だぜ。
バインシュテラー
 まったくだ。
ファロータ
 この俺が証人になってもいいがね、ロシアで一度俺は映画館に入った
 んだな、戦争以前は教会だった建物だがね、しかしだ、それが全然気
 づかん程なんだ、分かるかね、傷など一つだになしにさ、丁寧この上
 なしだったぜ!
バインシュテラー
 そうとも、俺も二、三のユダヤ教の墓地を見かけたが、ま、少々は乱
 れとったがね、墓石を堡塁に使ったりしたもんだからよ。しかしギリ
シャで教会がどうなっとるか俺はあっちへは行ったことがないのでな
んとも言えんな。
ファロータ
 芸術品に対してだよ、われわれ同様、何処でもが丁寧であれば言うこ
 となしなんだな。こいつを読んだばかりなんだ、『ジュナール・ド・
 ジュネーヴ』紙の編集室は、
バインシュテラー
 ド・ガネフ(Ganef、ユダヤ人の隠語で《盗人、詐欺師》を意味する)
 かね。(と吹き出して大笑い)
ファロータ
 全スイス市民の署名を集めてわれらの皇帝に請願するとさ、陛下の博
 愛と好意に訴え芸術品の保護を、
バインシュテラー
 反故にせよとかね。(大笑い)
ファロータ
 特に同盟国軍に占領されたイタリア領土内の芸術作品に対してだな。
 これにわれらの編集部の注釈がついとる。傑作だぜ、ここさ、《かか
 る請願は連合国側が同地区を占領した場合ならば当を得たものと言え
 ようが、われわれにあっては余計なものと言うほかない。なぜならば
 われわれは文化の国民である故に》しかしそれが何の役に立つっての
 かね。奴らに何百度と言ってやったもんだ、相変わらず野蛮の民とか
 われわれを嘲っとる連中にさ。
ファロータ
 そのうち思い知らせてやるさ。われわれがヴェニスに乗り込めばだな、
 散歩杖片手に芸術散策とやらかすぜ!
 

『ヘリオーポリス』 ユンガー
 墓から奪われたものは博物館に蓄えられた。博物館が教会に代わって
増えたにとどまらなかった。教会がまた博物館に変わった。教会の飾り
棚やガラス製陳列棚に貯めこまれた生を終えた古びたものは、中世の聖
遺物に似ていた、時代精神がそれに合理的な縁どりを与えていたとはい
うものの。
それから最初のせん滅の嵐が襲ったとき、世界都市はこぞって英雄廟に
新たな中心を得たのだった。無名戦士の墓標、諸民族の運命を試練の時
にあたって転換させた偉大な指導者たちの安息の地、墓地、その恐ろし
さが神秘的に浄化されるゴルゴタの丘の同類、これらすべてが強烈な光
を放った。それから大いなる逃亡がやって来た。その時にあたって多く
の人々はひとつの墓の思い出より他に自分のものだと呼べるものをもは
や何物も持たなかった。そこで思考が、痛み休息したのだった。かくし
て追悼の場所、墓地への旅が一般に広まった。旅は巡礼になった。教会
がこの崇拝の面倒を見た。墓地崇拝が祭式の力の最も強い源泉になった。
これがパゴスの峡谷のいたるところにひとつの死者の国が誕生した時代
国土だった。死者の国は都市生活とその一時的ではかない目標に対する
暗く陰鬱な対重(カウンター・ウエイト)を表現していた。ここには進
歩の向こうみずな企みとは正しく死を否定するところにあった。これが
世界の主を挑発するのだ。主は尺度を再建する。哲学者や詩人たちは、
人間はその高みから投げおろされて以来、利益を得たのだと言っていた。
実際明らかにそれが人間の信仰を育てただけでなく、常に認識の土壌よ
りも神秘の方により豊かに根を張る諸芸術をも育てたのだった。それゆ
え芸術作品もまた精神の力の重要証人であることに変わりないのだ。


 『人間形成のための歴史哲学異説』 ヘルダー
 アカデミー、図書館、美術館の設立が世界の教養を推し進めると言わ
れた時代があった。結構な話だ。このアカデミーは宮廷の看板だ。堂々
たる名士集会所、貴い学問の支え、君主の誕生日にはお歴々が集まる格
好の広間となる。だが、国全体の、民衆の、臣民の教養にはどんなに役
にたつのか。またアカデミーが何をやったって、それがどれだけ一般の
幸福に役だつか。


 『ローマ帝国衰亡史』 ギボン
 実際、国家は芸術院や、古今の芸術品の購入や、画廊・劇場・博物館
の設立のためにいかばかりの金額を費やしていることであろう。しかし
これについていかに多くの道徳的で感傷的な感想がよびおこされようと
も、このことは困苦と欠乏がふたたび記憶によびかえされることによっ
てのみ可能なのであり、それらを排除することこそ芸術の使命である。
したがっていかなる民族にとっても、現実そのもののさなかにありなが
ら現実のあらゆる困苦を超脱して贅をつくす領域のために、自分の財宝
を費やすことは、ただ名声をたかめ、最高の栄誉となることができる。


 『石灰工場』 トーマス・ベルンハルト
 フローによれば、彼はくたくたに疲れ、石灰工場中のどこを探しても
売れそうなものや、たとえほんの小額にせよ、金に換えられそうなもの
が何ひとつ残っていないと思い知らされ、そしてまたフェックブルック
の骨董品の汚い手口に引っかかったことがわかったので、この男とはと
っくの昔に縁を切ったことも考えながらソファーに坐りこんだそうだ。
経済的にはもうおしまいだとも考えながら、実際にくたくたに疲れて坐
っていたようだ。彼が坐りこんだソファーは婦人の車椅子の向に置いて
あり、この車椅子でうとうとまどろみながら坐っていることがもう何十
年もの間婦人の習慣になっていた。フランシス・ベーコンは売らない、
あのベーコンだけは売らない、あのフランシス・ベーコンだけは売らな
ぞ、と彼は何度も考えていたのだ、とフローは言う。銀行の連中が来た
らあの絵を隠すんだ。フランシス・ベーコンの絵を隠そう。あの絵は隠
さなくてはいけない、とコンラートはずっと考えていたのだ。


 『美術作品の説明』 ヴェルフリン
 美術はアルカイックな、物と物とを分離する、字母を一字一字たどっ
てゆくような視覚から、物と物とをまとめて見る視覚へと達するけれど
も、こうしたことこそ、表現といったものと直接には関わりのない内輪
なプロセスなのであり、しかも、この種のプロセスは造形ファンタジー
にとって大いに重要なものとなりうるのである。同様に、絵画における
一つの新しい時期を意味するものとして、色と光がもはやひたすら対象
物にくっついているのではなく、対象物を越えた彼方で自分一人の生命
のようなものを受け取る段階があり、ここまでくると、色は色へ、光は
光へ、手を差し延べていて、その結果生じる配置結構のたぐいはまった
く事物とは無関係になってしまい、まさにそのゆえにきわめて「絵画的」
となるのであるが、これまた一種の内的展開ともいうべきものの成果な
のであって、この成果と共に題材的に何か定まった物が先取りされてい
るかというと、そんなことはない。いやそれどころか、あらゆる展開の
中に認められる過程として、限定されたもの、構築的に整然としたもの、
そして安定した平衡を保っているもののスタイルが、秩序に囚われない
もののスタイルへと解消してゆき、相対的な無限定性を帯びると共に平
衡に不安定をきたすにいたるのであるけれでも、こうした過程でさえも、
原理的には、題材的な意味における表現に制約されてそんなふうになっ
たと説明される必要はない。本質的なのはただ新しい能力、見かけが不
規則なものの中にも〔美的な〕必然性を関知する能力だけである。
 外的フォルムというようなものと内的フォルムというようなものとは、
すでに述べたように、互いに分かちがたく結ばれているうえ、交互に作
用を及ぼしあってさえいるのであるから、そこからすれば別に不思議は
ないけれでも、内的展開においてすら新しい可能性のたぐいを次々と軌
道に乗せてきたのは、ほかでもなく偉大な名人上手たちであった。この
ことははっきり言っておかねばならない。見かけは純粋に自然的〔生物
学的〕なひとつの経過において、パーソナリティの重要さにも権利を保
全しておくために、それは必要なのである。ところが奇妙なことが起こ
る。というのは、強力なパーソナリティほどかえって明瞭に、美術の歴
史がいかに超個人的法則のようなもののかずかずに縛られているかを示
してくれるのである。
 

 『公用ドライブの果てに』 ハインリッヒ・ベル
 私は、さまざまの「支障」をともかく整理が犯行現場にあらわれて、
近くを流れるドウーア河に給水ポンプをそなえつけ、ちょろちょろと余
燼をあげているジープに《滝のように水を》注ぎかけ、ひょっとしたら
痕跡や証拠をめちゃめちゃにしかねない様子だったのを、やっとのこと
で押し留めることができました。消防隊は、《このような場面の通例で
ひどく面子を傷つけられて》引きあげていきましたので、私はやっと被
告たちに近づく暇ができました。約六メートル離れたところまでいくと、
私は彼らに声をかけました、「なんてことだ、どうしてこんなことにな
ったんだい?」と。するとグルールの息子のほうがこう答えました。
「こいつに火をつけたってわけですよ」そこで私はいささか驚いて「だ
ってどうしてそんなことをしでかしたのかね?」と言うと、グルールの
親父が「少し冷えてきたので、ハプニングとやらをやらかして暖まろう
と思ったのよ」と言います。私は彼をガキの頃から知っていましたので、
彼にこう呼びかけたわけです、「お前、自分で何を言っているのかわか
ってるのか?」すると親父は「自分の言うことぐらいはわかっているさ、
こいつはハプニングだったんだよ」と、こうです。
 「私は芸術家であります。そして、国家もしくは官庁の許可をとって
やる芸術作品、たとえばこれまでのハプニングはすべてそうでしたが、
ああいうものを私は芸術作品とは思わないのです。材料の調達と場の発
見こそ、芸術家たるものが誰でもみずから負わねばならぬ冒険(リスク)
なのです。」


 『特性のない男』 ムシル
 そしてアガーテには、それがわかった。とにかく海辺にいるきもちだ。
小さな虫どもが唸っている。大気が、数知れぬ野辺の匂いを運んでくる。
思考と感情とは、せわしなくともどもに活動を続けてはいる。だが、目
の前には、答えることのない広漠たる海、そして岸辺で意味をもつもの
は、このはてしのない光景の単調な動きにあって、消されてゆく。すべ
てのほんとうの静物画は、このような幸福で汲みつくせない悲しみを呼
びおこすことができるのだ、とアガーテは考えた。長く見つめれば見つ
めるほど、静物画に描かれているものが、生の色どり豊かな岸辺にある
さまが、いよいよはっきりしてくるが、目は途方もない無限の広がりで
満たされ、口はきけなくなってしまうのだ。
 ウルリッヒは、いま別の言い回しで答えた。「実をいえば、すべての
静物画は、神と世界とが水入らずの状態にあり、まだ人間が存在しなかっ
た天地創造の六日目の世界を描いているんだよ!」と、そして、妹の問
いたげな微笑にあって、彼はこう行った。「だから、静物画それを見る
人の心に呼びおこすものは、おそらく嫉妬心、なぞめいた好奇心、そし
て苦痛なんだろうね!」と。

 ところで、静物画のことであるが、静物画の特異な魅力は、また八百
長試合なのではなかろうか。いや、ほとんど審美的な屍姦といえるので
はなかろうか。

 この男についで、また別の男がやってきて、次のような話をした。自
分は通りを歩いている時、もっとも、電車に乗っている時の方が、はる
かに面白いのだが、ここ数年来、商店の看板に書かれているラテン文字
の大文字の字画を数えて(例えば、Aは三画でMは四画というふうに)、
その画数の合計を字母の数で割ってみるのが習慣となっている。これま
でのところ、平均値は常に二・五であった。だが、これはあくまで平均
値であって、けっして不動のものではなく、通りが変わればその度に変
わり得るものである。そこで、この数値に狂いがあると、ひどい不安に
見舞われ、ぴったり合うと、大きな喜びに満たされるわけで、これは悲
劇の機能とされている浄化作用と似ている。他方、文字の数そのものを
数えてみると、貴兄も自分でやってみてはじめておわかりのことと思う
が、三で割れるものは、僥倖にもひとしい珍しい事例である。したがっ
て、たいていの看板は、誰にもはっきり感じられる不充足感をあとに残
す。だからこそ、多画文字、つまり四画文字からできているもの、例え
ばWEMといった例外的な看板は、いかなる場合にも、特別な幸福感を
与えてくれる。さてその結果どうすればよいか、と自ら問いを発しなが
ら、その訪問者はさらに続けた。それは、ほかでもない、厚生省が布告
を発して、商店名をつける場合に、四画文字の列を使用するよう奨励し
て、O、S、I、Cなどのような一画文字の使用を、極力ひかえるよう
に指示しなければならない。なぜなら、一画文字はその不毛さのゆえに、
悲しい思いをさせるからである。


 『梨の花』 中野重治
 ここで町が終わる。そこに川がある。その川ぶちの、「じょっさま」
の背中になる長い板塀にいくつも看板が貼ってある。人の顔の絵のはい
ったのがそのうちに三つある。
 一つは鳥の毛の帽子を冠った八字髭の人の絵だ。帽子は三角の帽子で、
その山型のへりに白い鳥の毛がついている。この人はいかにも色の白そ
うな顔だ。これは「仁丹」の広告看板だ。
 一つは禿頭で鉄ぶち眼鏡をかけたおんさんの絵だ。この人には、鼻の
下、口のまわり、顎からおとがいにかけて束のように大きいひげがある。
長い顎ひげはまっくろに縮れている。仁丹の人よりもからだも大きそう
だ。これは「大学目薬」の広告看板だ。
 もう一つも大きな顎ひげのおんさんだ。これは頭は禿げていない。髪
の毛をのばして、長目の角刈りのようにしている。鼻がずっと大きくて
高い。ひげも一番大きくて長い。顔をちょっと斜かいにしている。から
だは、「大学目薬」のよりもっと大きそうだ。これは「ダンロップタイ
ヤ」の広告看板だ。
 三つの看板はあちこちにある。いつでも並んでいるとは限らぬが、こ
の三つは良平はよく覚えてしまった。このなかで、「ダンロップタイヤ」
のは西洋人ではないかと思う。ただ良平は、西洋人というものをまだ見
たことはない。しかし西洋人だろうと思う。良平は「仁丹」は知ってい
る。「大学目薬」も知っている。「大学目薬」は、細い箱にはいった薬
そのものを見たことがある。しかし「ダンロップタイヤ」がわからない。
自転車の絵がついているから、自転車に関係のあるものかとも思うが、
そこははっきりしない。ダン、ロップ、タイヤ。この、ダン、ロップと
いうのが良平は好きだ。ダン、ロップと口でいってみる。気持ちがいい。
三人のうちで、このおんさんが一番偉いような気がする。


 『同期生』 ワシーリー・アクショーノフ
 《森のくま》(十九世紀ロシアの画家シーシキンの作品。ホテルなど
に複製がやたらとかけてある)の複製画は、ちかぢか住居が変わるとい
う安心感を生活に持ちこんだ。壁には当面のスローガンが貼ってあった。
《バッハをふやし、ジャズをへらせ。》《自己の新陳代謝をめざしてが
んばれ。》


 『異端の鳥』 コジンスキー
 そのような偉大な人物の肖像画や写真が部隊の図書館や野戦病院や娯
楽ホールや食事をするテントや兵舎に展示されていた。ぼくはよくこれ
らの賢明で、偉大な人物の顔を見た。その多くは故人だった。ある人物
は短い響きのいい名前と、長いぼうぼうの顎ひげを持っていた。しかし、
その最後の人物はまだ生きていた。彼の肖像画は、ほかのだれよりも大
きく、鮮明で、男前だった。赤軍がドイツ軍を打ち破り、解放した民衆
に、すべてが平等の新しい生き方をもたらしたのは、この人物の指導の
おかげであった。金持ちも貧乏人もなければ、搾取するものも、される
ものもなく、色の白いものによる色の黒いものへの迫害もなければ、ガ
ス室もない。すべての部隊の将校や兵士と同じように、ガブリラは彼の
持っているものはすべてこの人物に負っているといった。図書館もその
美しく印刷された書物も彼に負っている。ソビエトの市民の一人一人が
その所有しているものすべて、立派な財産のすべてを彼に負っているの
である。
 その男の名前はスターリンといった。


 『ハープと影』 カルパンティエール
 「アンドレアよ、君は大提督だった。そして世間の人々は君を一人の
卓越した提督としてのみ記憶し、君の手柄を顕賞してきた・・・・・僕
もまた大提督だった。しかし、僕をあまりにも偉大な人物に祭り上げよ
とする企てが、結局、優れた提督としてのイメージまで損なうことにな
ってしまった。」
「でも、世界中に君の彫像が建てられるだろうから、それでいいじゃな
いか、元気を出せよ。」
「そんなもの、どれ一つとして僕に似ちゃいないよ。だって、僕は謎に
包まれたところから出て来て、結局のところ人間的な姿の刻印を残すこ
となく謎の世界に戻ってしまったのだから。しかも、人間は彫像のみで
生くるにあらず、だからね。今日あそこで、僕の友人たちは僕を賛美す
るあまり、却って僕をひどい目に会わせたんだ。」
「船乗りでジェノヴァ人ではね、まあ致し方のないところだろうよ。」
「ひどい目に会わせたんだ。」とコロンはほとんど涙声で繰り返した。
 

『詐欺師の楽園』 ヒルデスハイマー
 ローベルト(贋作家)の所業の不道徳ぶりをみても、私にははじめか
らそれに怖じけをふるうような気持ちはなかった。当時の私には、そも
そも不道徳とはいかなることなのか納得できるような経験がまだ不足し
ていた。(自慢じゃないが今日私はおよそ他に類をみないほどこの種の
経験を豊富に重ねたといえる。)それどころか私はある晩、純真にもこ
とかいておじに尋ねたものである、いったいどうして、作品に自分の署
名をしないで、自分で創った画家の名前を入れると絵の値段が一挙に上
がるのかと。
おじは深々と安楽椅子にもたれ、例の通り少量のコニャックの入ったナ
ポレオングラスを手にしていた。
「過去の人間の権威って奴は、実際のできのよしあしよりも今日じゃ芸
術品の価値に効き目があるんだよ。生きている画家なんてものは、どだ
いいないようなものだ。そいつが死んだらはじめて注意が向けられる。
だが過去の巨匠というのはどこでも大歓迎だ。私はその巨匠の一人とい
わけだ。」


 『ダダ』 ハンス・リヒター
 そのころ、私は若い、二十五歳ぐらいのポップ・アートの芸術家、リ
キテンスタインと知り合いになったが、彼の〈つづき漫画〉を巨大にひ
きのばした絵は、彼自身からこのような絵の〈理念〉と、その理念の来
歴をききたい好奇心を、私に呼び起こした。
 彼は私に次のように語った。彼の小さい息子が、同級生にたずねられ
た。「君のお父さん、いったい何なの? 芸術家? どんな芸術家?」
「抽象表現主義者さ!」「ああ」と、同級生は言った。「するとデッサ
ンが全然だめなんで、抽象的に描く人か!」小さなリキテンスタインは
泣きながら家に帰って、父親にデッサンができないことを非難した。父
親のリキテンスタインは、それは間違いだと言って、彼をなだめ、息子
に分かるように、巨大なミッキーマウスを正確につづき漫画そっくりに
描いてみせた。しかし、それでは十分ではなかったので、父親は自分が
人間も描けることを証明しなければならなかった。そこでパパ・リキテ
ンスタインは、つづき漫画のスタイルで大きなジョージ・ワシントンを
描いた。それで十分だった!
 しかし、奇妙なことに、この絵は小さなLに気に入っただけでなく、
大きなLにも気に言った。そこでリキテンスタインは、あらゆる種類の
漫画の手あたりしだいに拡大図で遊びはじめた。それは彼を非常に満足
させ、彼は漫画そのものだけでなく、新聞印刷の網目スクリーンをも模
倣した。友人たちがやってきて、やはり興味深くそれを眺めた。そうし
てみているうちに、リキテンスタインは自分の線を発見したのだ。それ
は単純で、健全で、自然な線であって、実際には〈六歳の年齢をもった
線〉だが、彼を一夜にして〈有名〉にしたのである。


 『神様の話』 リルケ
 「神様は危険を察知なさって、ぎりぎりの最後の瞬間に、天の中央に
姿を現したのです。(ほかにどうしたらよいというのでしょう。神様と
しては、やはりこの手しかありません。)三人の画家は驚きました。三
人ともカンバスをそなえて、パレットをセットしました。こういうチャ
ンスをのがすことはゆるされません。神様というものは毎日現れるわけ
ではなく、また、だれにでも現れるというわけのものでもありません。
三人とも、もちろん自分の前だけ神様が現れてくださったと思っていた
のです。とにかく三人はこの興味深い制作に没頭しましました。神様が
また天国に戻ろうとなさると、そのたびに聖ルカが出ててきて、三人の
画家が絵を完成するまでもうしばらく外にいていただきたいと神様にお
願いするのでした。」
「で、その人たちはその絵をどうせもう展覧会かなんかに出品したので
しょうね。あるいは売れちゃったかな」と、わが音楽家はごくおだやか
な調子でたずねました。「何をおっしゃいます」と私は抗弁しました、
「三人はいまだに神様を描いていることでしょう。しかし、もしも(そ
んなことは絶対にあり得ないと思いますが)もう一度、生きているうち
に三人が集まって、めいめいそのときまでに描いた神様の絵を見せ合う
ことがあったとしたら、どうでしょう。おそらくは、三人の絵はほとん
ど見分けがつかないくらい似ていることになりはしないでしょうか」


 『神と生と死』 J.G.バラード
 さいわい、彼らの神は明らかに、妬む神でも怨み深い神でもなかった。
空から雷が落ちもしなかった。審判の日、絞首台で埋め尽くされたくら
い風景、という当初の憂慮は、無事におさまった。ボッシュやブリュー
ゲルの悪夢が実体化することもなかった。そして、今回はじめて人類は、
その行状を律する上で山羊を必要とはしなかったのである。不貞や乱交
や離婚は殆ど消滅してしまっていた。面白いことに、結婚の数にも落ち
込みがみられ、多分これは、なんらかの形での千年王国が間近いという、
共通の感覚によるものと思われる。


 『鳩の翼』 ヘンリー・ジェイムズ
 ルーク・ストレット卿に来診の時間を知らされた時から、ナショナル
・ギャラリーへ行こうとという考えは彼女の心にあった。閑散として訪
れる人の少ない場所、ヨーロッパの魅惑の一つ、教養へ通じる最高の道
の一つでありながら、よくある話で、軽薄で月並みな人々はいつも結局
俗悪な快楽のために犠牲にしてしまう場所、というのがアメリカにいた
時から彼女の抱いていた印象である。ブリューニック峠で気まぐれな旅
行計画の変更をやってのけた彼女の気持ちには、多少後ろめたい気持ち
もまじっていた。幼い頃からヨーロッパ旅行には「絵画やその他」の芸
術鑑賞という大きな目的があると教えられていたのに、これでは本当の
向上の機会に背を向けることになる、と思ったのだ。しかし今のミリー
は、自分がなぜヨーロッパの芸術に背を向けたかを知っていた。理由は
明らかだった。彼女が求めたのは、知識ではなく人生であり、その結果
現在の彼女は希望どおり人生の真只中にあった。とは言え彼女は心残り
だった。この頃になってケイトの助けで時間を見つけ、歴史の多彩な流
れの中に多少は踏みこんでみたとはいえ、なお彼女が見逃してしまった
素晴しい芸術鑑賞の機会があるのではないだろうか? 今日という日を
逸すれば、永久に見逃すことになる素晴しい時間があるのではないだろ
うか? チシアンやターナーの絵に取り囲まれながら、見逃していた素
晴らしい機会の一、二を、まだ取り返すことができはしまいか? この
日を楽しみにしていた彼女の気持ちに偽りはない。そして、心地よい館
内に一歩足を踏み入れた時、彼女は期待が裏切られないのを知った。そ
こには彼女の望み通りの雰囲気があり、今ではそれのみを選びたいと願
う世界があった。圧倒されるほど気高く、豪華で、人眼を避けたところ
のほとんどない静かな部屋部屋が彼女の周囲にひろがっていて、やがて
彼女は、「この中ですべてを忘れることができれば!」と願っていた。
人はいた。人は大勢いた。しかし、ありがたいことには、個人的な問題
はなかった。外の世界では個人的問題は際限がない。しかし、幸せなこ
とには彼女はそれを外の世界に置いてきた。彼女が個人的問題らしきも
のの微かな影を十五分ほど感じたのは、模写を業とする女性たちのうち、
ことに熱心な一人をしばらく見守った時だけであった。特に二、三人の、
眼鏡をかけエプロンをつけ模写に没頭している人々に彼女はおかしいほ
ど共感を覚え、生まれて初めて、これが正しい生き方だとさえ感じた。
彼女もまた模写の道にいそしむべきではなかったか? それこそは彼女
に似つかわしい仕事ではなかったか? 逃れること、水の底に潜って生
きること、わずらわしい個人的生活をまぬがれながらしかも確固とした
人生を生きること、それを求めるものにとって、模写は理想的な生活だ
った。人はただ眼前の名画に賭ければよい、ただひたすら努力を積み重
ねていけばよい。


 『耳の中の炬火』 エリアス・カネッティ 
 私はブリューゲルの絵にめぐりあった。私のそれらの絵との付き合い
はブリューゲルの最もすばらしい作品が展示されている場所、つまり美
術史美術館で始まったわけではない。物理=化学研究所での講義の合間
に、私はリヒテンシュタイン宮殿にちょっと立ち寄る暇を見つけた。ボ
ルツマン街からシュトウルードルホーフの階段を素早く跳びおりて行く
と、早くも私は今日ではもはや存在していないすばらしいギャラリーに
いたし、ここで私は自分にとって最初のブリューゲルの作品を見た。そ
れらがコピーであることは私にとってほとんど問題ではなかった。私は、
当の絵と突然対決させられたときに、それらがコピーか、はたまたオリ
ジナルかと質問するような、物に動じない人間、無感覚で無神経な人間
がいたら、お目にかかりたいものである。それらがコピーのコピーのコ
ピーであろうと、私にとってはほとんどどうでもいいことであった。そ
れらが〈盲人の寓話〉と〈死の勝利〉だったからである。私がのちに見
たあらゆる盲人たちは、これらの絵のうちの最初のものから生まれてい
る。
 盲目という考えは、はしかにかかって二、三日間視力を失った幼年時
代以来、私の脳裏を去らなかった。いまや私は、お互いの杖もしくは肩
をつかみながら、曲がった列をなしている六人の盲人を見た。他の者た
ち全員を率いている一番目の男はすでに溝の中にいたが、そのあとから
まさに転がり落ちようとしている二番目の男は満面を、そのうつろな眼
窩と歯をむきだした恐ろしい開かれた口とを観覧者の方に向けていた。
彼と三番目の男との間にこの絵の最大のギャップがあり、まだ両人は自
分たちを結び付けている杖をしっかりつかんでいたが、しかし三番目の
男は衝撃を、不安定な動きを感じており、いささかためらいながら爪先
で立っていたし、側面から見る彼の顔、盲目の片目だけ、は不安の念と
は言わないまでも、ある疑問の兆しを現わしている。一方、彼の背後で
は、四番目の男がなお全幅の信頼をもって、その手を三番目の男の肩に
あずけ、その顔を天に向けていた。彼の口は大きく開かれているが、さ
ながら彼がその口に眼には拒まれている何かを天から受け取ることを危
害しているかのような趣である。彼は単身で長い杖を右手につかんでい
るが、しかしそれに寄りかかってはいない。彼は六人のうちで、その靴
の赤色にいたるまで確信に満ちた、最も疑うことを知らぬ者であり、彼
のうしろの最後の二人の男は、いずれも前の男の衛兵然として、忠実に
彼に従っている。両人の口もまた開かれているが、しかし彼ほど大きく
開かれてはいないし、両人は溝から最も遠く離れており、何も予期せず、
何も気づかわず、彼らの指について言うべきことが若干あるだろう。当
の指は眼の見える人びとのそれとは違ったふうにつかんだり触れたりす
る。また、彼らの探る足も違ったふうに地面を踏むのである。
 この一枚の絵さえあればギャラリーは事足りただろうが、しかしそれ
から、私は思いがけず、私は今日でもなおそのショックを感じる、〈死
の勝利〉に巡り会ったのである。骸骨姿の、きわめて活動的な骸骨姿の
何百人もの死者たちが、せっせと同じくらいの数の生者たちを自分たち
のところへ引っぱって行っている。死者たちは、群衆としてであれ、個
々人としてであれ、あれゆる種類の人々である。各人物の社会的階級は
明白であり、彼らの行動はものすごく熱がはいっており、彼らのエネル
ギーは自分たちが組みついている生者たちのそれより何倍も大きい。観
覧者も、彼らがいまはまだ目的を達していないけれども、やがて成功す
るだろうということを知っている。人は生者たちよりも生き生きとして
いるように見えるために頭が混乱する。死者たちの活動力は、もしそう
した表現を用いうるならば、唯一の目的を、つまり生者たちを死者たち
の側へ連れてくるという目的を有している。彼らは四散しようとはせず、
他のいかなることも企てようとはしないし、あるのは彼らが欲している
当の唯一のことだけであるが、一方、生者たちは多様なやりかたでおの
れの生存にしがみついている。誰もが一生懸命であり、誰一人屈服しな
いし、私はこの絵のうちに生に倦んだ者を一人も見い出さなかった。死
者たちは各人から、当人が自発的に降伏することを拒否するような何も
のかを奪いとってしまうにちがいない。百通りものヴァリエーションで
のこの抵抗のエネルギーが私の内部に流れこんだし、それ以来、私はし
ばしば、さながら自分が死に抗して戦っているこれらの人たちの総体に
ほかならぬかのように感じてきた。
 私はいずれの側にも群衆が存在することを理解した。どれほど一個人
がおのれの死だけを感じているとしても、同じことが他のどの個人にと
ってもあてはまるし、そのため私たちは彼らのことを全員一緒に考える
べきなのである。


 『芸術の原理』 コリンウッド
 ベレンソン氏が触覚的価値について語るとき、彼が考えているのは、
毛布や布の肌触りや、樹皮の冷たい粗剛さや、石の滑らかさやざらつき
のようなものではなく、その他のものがわれわれの敏感な指先に示して
くる性質ではない。彼自身の叙述が豊富に示しているように、彼が考え
ているのは、あるいは主として考えているのは、距離であり空間であり
量塊であり、要するに接触感覚ではなくて、われわれが筋肉を使い四肢
を動かすことによって経験する運動感覚なのである。しかし、これはま
た現実の運動感覚ではなく、むしろ想像上の運動感覚である。マサチオ
を見ながらこの感覚を享受するために、われわれは絵画をまっすぐ突き
抜けて歩く必要もなく、画廊の中を歩き回る必要すらない。われわれが
行っていることは、自分がこのような仕方で動いているのを想像するこ
とである。要約して言えば、われわれが絵画が見ることから獲得するも
のは、単純にある視覚的対象を見る体験でもなく、それを部分的には見、
部分的には想像する体験でもない。それは同時に、そしてベレンソン氏
の意見ではより重要な意味で、ある複雑な筋肉運動についての想像上の
体験なのである。


 『ニューロマンサー』 ウイリアム・ギブソン
「ありゃ何者だや、ケイス」
「ただの画さ、マエルクム」
とケイスは投げやりに、
「《スプロール》の知り合い。喋ってるのは冬寂(ウインターミュート)
だ。画はおれたちを落ち着かせるためさ」
「とんでもない」
とフィンは言い、
「モリイにも言ったとおり、これはただの仮面なんかじゃない。お前さ
んたちに話すためには、欠かせないんだ。お前さんたちのいう人格、て
のを、あまり持ちあわせてないからな。でも、そんなのはどうでもいい。
ケイス、言ったとおりの大問題なんだ」