title:虚無への供物 ver.0.9.5j
木村応水 作
1995

 
 『西の窓の天使』 G.マイリンク
 「ジェーンは幸せなのか、そんなところにいて?」
「そんなところ? 何かだとも言えないものに、どんな名称もそぐわない。
おはずかしいことに、『永遠の生命の国』などという間違った言葉しか、
われわれは持ちあわせていないのだ! それに、幸せかって?」
ガードナーは私に微笑みかける。
「一体本気で訊いているのか!」
私は恥ずかしく思った。


 『アミナダブ』 ブランショ
 なんというみじめな男たちだろう! どうやってかれらから身を振り
ほどけばいいのだろう?
「ぼくにどうして欲しいのです?」ついに彼は叫んだ。すぐさま老人が
身を起こして言った。
「あんたにはいろいろなことができるんだ。あんたの証言しだいで、お
れたちに命じられる養生法が定まるのだから。あんたは知らないのだね、
おれたちが何におびえているのかを。病院生活は地獄のようなのだ。何
日ものあいだおれたちは暗い部屋に留められ、そのなかで一冊の本から
細い字で抜き書きされた数行の文を、おれたちの眼はたえず読んでいな
ければいけない。数時間もすると眼は充血して涙があふれ、視界がぼや
けてくる。一日が終り夜になると、まなざしの捉えるものは炎の文字で、
そのためまなざしは火傷を負ってしまう。その夜は一時間また一時間と
闇を深めてゆき、眼は依然として開いたままではあるが、その眼を覆う
暗闇がとても深いため、眼の動きが奪われるばかりか、眼はみずからの
盲目性を意識して、自分がなにか呪いにでもかかっているように思いこ
んでしまう。この責苦はだいたい一時間つづく。この期間がすぎると、
すこしも休まずテクストの上に眼を注ぎつづけてきたあげく、もうそれ
が見えなくなった病人、自分自身の内部にそれらの文字を完全にはっき
りと認め、それを読み、理解する、すると彼は視力を取り戻すのだ。感
覚器官のひとつひとつについて同じことが行われる。いちばん苦しいの
は聴力の浄化だ。おれたちが閉じ込められる部屋はあらゆる物音から遮
断される。はじめはこの沈黙と平和は愉しい。自分の住む場所から世界
は斥けられ、休息は快い。自分ひとりしかそこにいないのだということ
さえ解らない。最初のつらい瞬間は、ある言葉を病人が大声で、どんな
名前なのかわからないのだが、ある名前を、彼ははじめ無関心に口に出
すが、ついで好奇心を持ってそれを発音し、ついには苦悩にみちた愛情
をこめてそれを発音するようになる。ところで聴覚のほうはすでに沈黙
のためひからびていて、その名前は感覚へと訴える力も熱もない単語と
してしか聞こえない。それは奇怪で残酷な発見だ。病人は自己自身との
会話をはじめそこにかれの愛情のすべてをそそぐのだが、一方で会話は
何度も繰り返され、そのたびに無関心の度は増してゆく。彼は情熱的に
話す、だが、かれに聞こえてくるものはしだいに冷ややかさを増し、他
のいかなる人間のどのような言葉よりも、もっと彼自身の生に無縁なも
のとなってゆく。彼が情熱を込めて自己を表現すればするだけ、それだ
け彼の語るものが彼を凍らせるのだ。自分にとってこのうえなく慕わし
いものに呼びかけても、その音は自分から永遠に切り離されたものとし
て知覚される。この不幸な異常さをどう解釈したらいいのだろう? そ
れを思うと、もちろん彼は話しながらでなければ考えられないのだが、
自分に聞こえる言葉がいわば死者の言葉であることに気付く。彼は、ま
るで自分がすでに意識を失っているかのようにして、自分の声を聞く。
そのときの彼とは、もはや彼の存在しない世界における彼自身の木霊だ。
自分の全生涯の魂と言説であった言葉を生存の外側で受け止める、この
ような拷問に彼は堪えるのだ。錯乱がこの印象をつかまえる。耳は巨大
になり、身体の代わりをつとめるに至る。このうえなく美しい歌も、こ
のうえなく愛する言葉も、いや生そのものまでが、恐ろしい永遠の自殺
によって死んでゆくこの聴覚、だれもがみな、自分がそんな聴覚へと変
わってしまったと思い込む。そのとき、部屋が開けられ、あなたの名前
が呼ばれるだろう。その名前が聞こえる、聞こえるものとしての価値相
応だ。つづいて手の浄化が行われる」
「もう結構です」トマは言った。


 『歎異抄』 親鸞
 またあるとき、聖人は「唯円房は、わたしの言うことを信ずるか」と
仰せられたので、「さようでございます」とお答えしたところ、「それ
では、わたしの言うことにそむかないか」と重ねて仰せられたから、つ
つしんでおうけしましたところ、「たとえば、人を千人殺してもらえな
いか。もしそうすれば、かならず浄土に生まれることになろう」と仰せ
られた。そのとき、「仰せではありますが、ただの一人も、わたしの能
力では殺せるとも思えません」とお答えしましたところ、「それでは、
どうして親鸞の言うことにさからわない、というのだ」と仰せられた。
そしてさらに続けて、「これでわかるだろう。すなわち、どんなことで
も、こころのままになるものならば、浄土に生まれるために千人殺せと
いうときにはただちに殺すだろう。しかしそうではあっても、一人でも
殺せるような宿業のはたらきかけがないために、殺さないのである。自
分の心が善くて、殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人、
あるいは千人を殺すこともあるだろう」と仰せられた。これは、わたし
たちが、心が善ければ浄土に生まれるに適していると思い、悪ければ適
していないと思って、実は本願の不思議なお力によってお助けになる、
ということを知らないでいるのを、いわれたものである。


 『日本的霊性』 鈴木大拙
 業の重圧を感ずるということにならぬと、霊性の存在に触れられない。
これを病的だという考えもあるにはあるが、それが果たしてそうである
なら、どうしてもその病気に一遍とりつかれて、そうして再生しないと、
宗教の話や霊性の消息は、とんとわからない。病的だという人は、ひと
たびもこのような経験のなかった人なのである。病的であってもなくて
も、それには頓着しなくてもよい。とにかく霊性は一遍なんとかして大
波に搖られないと、自覚の機縁がないのである。


 『闇の奥』 コンラッド
 『その時ふと彼は、クルツは元来すばらしい音楽家なのだというよう
なことを言った。「その方じゃすばらしい素質の持ち主だったんですが
ねえ、」と彼は言った。そうした彼もたしかオルガン弾きだったはずで、
長い、柔らかい白髪を脂じみた上衣の襟の上まで垂らしていた。僕には
彼の言葉を疑う理由はない。そして実は今日に至るまで、僕はもともと
クルツの職業が何であったのか、いや、いったい職業なんてものをもっ
ていたのかどうかさえ、いいかえれば、どの才能が一番優れていたのか、
いまだに僕にはわからないのだ。あるいは新聞などのために書いていた
画家か、でなければ逆にジャーナリストで、余技に画の方も少しばかり
やるといった方なのかと、そんな風に思ってはいた。だが、その点にな
ると、この従兄弟という男でさえが、(彼は話している間、しきりに煙
草をやっていた。)一向にはっきりしないのだった。ただ万能的な天才
だという、その点になると、僕等の意見は完全に一致した。彼は大きな
木綿のハンカチを出して、大きな音をたてて一つ鼻をかむと、僕の渡し
た、なんでもない手紙とメモ類とを二、三枚もって、老人らしくなにか
しきりに興奮しながら帰って行った。最後には新聞記者が来た、そして
あの《同僚》の最後を是非聞かせてほしいと言った。この訪問者による
と、クルツの本領はやっぱり政治家として、《民衆の味方になる》とい
ことだったんでしょうねと言う。太い一文字の眉毛、短く刈りこんだ剛
(こわ)そうな頭髪、大きなリボンをつけた単眼鏡(モノクル)、そし
てしまいに油が乗ってくると、なに、実はクルツなんて筆の方はからっ
きし駄目ですよ、というようなことまで言い出した。「だが、ひとたび
口を開かしたが最後、実にすばらしいもんですね! 何万という聴衆が
電気をかけられたようになった。つまり信念があった、そうでしょう?
信念ですよ。なんでも本当に信じることができた、ええ、なんでもしま
すよ。急進党の領袖(リーダー)にでもなれば大したものだったろうに
なあ。」
 『「何党ですって?」と僕は訊いた。「いや、何党だっていいですが
ね、」と彼は答えた。「とにかく奴は、そのう、ええと、過激派でした
がね。」』


 『神々の復活』 メレジュコールスキイ
 ジョヴァンニとカッサンドラは、運河の上のいつもの場所に、座を占
めていた。
「ああ、何という退屈な事でしょう!」娘はこう云って伸びをしながら、
頭の上で細い白い指を揉みしだいた。「毎日毎日同じ事だ。今日は昨日
のようなのだ。いつも同じようにあの馬鹿らしい、ひょろ長い体をした
寺男が、土手の上で釣をしながら、何一つ釣り上げることが出来ないし、
いつも同じように研究室の煙突からは、黒い煙がもくもく湧き出してい
るけれど、ガレオット叔父さんは金を見つける事が出来ないし、舟はい
つも同じように、毛の擦りむけたやくざ馬に曳かれているし、隣の酒場
ではいつも同じように、ひびの入ったような琵琶が、悲しそうな音を立
てている。本当に、何か少しでも変わった事があればいいのにねえ!
せめてフランスの兵隊でもやって来て、ミラノの町をこわしてくれるか、
それとも寺男が魚を釣り上げるか、でなければ、叔父さんが金を見つけ
るかしてくれればいいのに‥‥あああ、何という退屈な事だろう!」
「ええ、僕にもよく分かりますよ。」とジョヴァンニが云った。「僕自
身もどうかすると、退屈で退屈で堪らなくって、いっそ死んでしまいた
い気のする事があります。けれどベネデット先生が、憂愁の悪魔を逃れ
る素敵なお祈りを、僕に教えて下さいましたよ。お望みなら、あなたに
もお教えしましょう。」
娘は頭を振った。


 『存在と時間』 ハイデガー
 存在論的問題提起を存在的探究から形式的に区別することが、どんな
に容易におこなわれたとしても、現存在の実存論的分析論の実行、とく
にその開始は困難なしではすまされません。その課題のなかに、長いあ
いだ哲学を落ちつかなくしているひとつの未解決の問題が含まれていて
しかもそれを充たそうとすると、哲学がいつも繰り返し拒否しているも
の、すなわち「自然的世界概念」の観念の検討という未解決の問題が含
まれているのです。この課題を実り多いものにする取り上げ方について
は、今日わたしたちが処理しうる、多種多様の文化や現存在の形式につ
いての豊富な知識が、好都合のように思われます。しかしこれはただ外
見にすぎません。これを要するに、この様な夥しい知識は、本来の問題
を誤認させる誘惑です。混合主義的にすべてを比較したり、また類型化
したりすることはすでにみずから本質認識を与えないのです。一つの表
のなかで多様なものを取り扱うことは、そこに配列されて横たわってい
るものの本当の理解を保証しないのです。秩序の真の原理は、その独自
の事象内容をもっていて、これは秩序づけることによって決して発見さ
れず、秩序づけることのなかにすでに前提されているのです。このよう
にしてもろもろの世界像の秩序のためには、世界一般のはっきりとした
観念が必要です。「世界」そのものが現存在の構成要素であるとしても、
世界現象を概念的に検討することは、現存在の基本構造への察知を要求
します。


 『故マッティーア・パスカル』 ルイージ・ピランデッロ
 「寝ていらっしゃるのですか、メイスさん?」
「どうぞ、どうぞ続けてください、アンセルモさん。寝ておりませんか
ら。まるで目に見えるようですよ、あなたのそのランプが。」
「ほう、結構ですな・・・・しかし、あなたは今、その目を患っていら
っしゃるのですから、あまり哲学論に深入りするのはやめておきましょ
う、ね? それよりもむしろ気晴しのつもりで、運命の暗闇をさまよう
蛍、これがまあ、われわれの心の灯火ということになりましょうか、そ
のあとを追ってみることにしましょう。私に言わせて頂くならば、何よ
りもまず、それは実に色とりどりだということになるでしょうな。あな
たはどうお考えですかな? あの商売上手な幻想が大安売りするガラス
の色によるというわけです。それでも私にはこんな気がするのですよ、
メイスさん、歴史の時代とか、また同じように個人の一生のそれぞれの
時節とかによって、どんな色が支配的であるか、言いあてることできる、
ということです。ね? 事実、それぞれの時代によって、人間のあいだ
では一種の、感情の調和というようなことができあがって、これが、
《真理》とか《徳》とか、《美》とか、《名誉》とか・・・・そのほか
さまざまな抽象的な名辞というあの大きなランプに光と色を与えるとい
うことになっています。たとえば、異教的な《美徳》の大ランプは赤い
というようには考えられませんか? それからキリスト教的な《美徳》
は紫、意気沮喪させるような色。一時代に共通する思想の光というもの
は、集団的な感情で燃え立っています。しかしこの感情が分裂すると、
なるほど、抽象的名辞のランプはそれでも高々と立ってはいますが、し
かし、その思想の炎ははぜたり、ゆれたり、消え絶えてしまいそうにな
ります。いわゆる過渡期と呼ばれる時代はいつもそうです。


『限りなく透明に近いブルー』 村上龍
 オキナワガ苦笑いして舌打ちする。
「もうあいつらどうしようもないよ、どうしようもないってことがヨシ
ヤマにはわかってないんだな、あいつバカだからな。
リュウ、ヘロイン打つか、これすごくピュアだな、まだ残ってるぞ」
「いいよ、きょうは疲れてるんだ」
「そうか、お前フルート練習してる?」
「やってないなあ」
「だってこれから音楽でやっていくんだろ」
「そんなこと決めてないよ、とにかく今何もしたくないんだ、やる気み
たいのがないからなあ」
 オキナワが持ってきたドアーズを聞く。
「何だ白けるのか?」
「まあね、でもちょっと違うけどな白けるって言うのとはちょっと違う
けどな」
「この前クロカワに会ったよ、あいつなんか絶望してるって言ってたな、
話はよくわからなかったが絶望してるんだってよ。アルジェリアに行く
んだってよ、ゲリラになってな。まあ俺みたいのにそんな話するんだか
ら本当に行きゃしないんだろうが、ああいう奴なんかの考えともリュウ
は違うんだろ?」
「クロカワさん? うん、あの人とは違うよ、俺はただなあ、今からっ
ぽなんだよ、からっぽ。
 昔はいろいろあったんだけどさ、今からっぽなんだ、何もできないだ
ろ? からっぽなんだから、だから今はもうちょっと物事を見ておきた
いんだ。いろいろ見ておきたいんだ」
 オキナワの入れたコーヒーは濃すぎて飲めなかった。もう一度湯を沸
かして薄める。
「じゃあ、インドにでも行くんだろ」
「え? インドがどうしたって」
「インドに行っていろいろ見てくるんだろ」
「何でインド行かなきゃいけないんだ、そうじゃないよ、ここで十分さ。
ここで見るんだ、インドなんか行く必要ないよ」
「じゃあLSDで? いろいろ実験したりするのか? どうするんだか全
然わからんな」
「うん俺にもよくわかってないんだ、自分でもどうしたらいいのかよく
わからないからなあ。ただインドなんかには行かないよ、行きたいとこ
ろなんてないなあ。最近さあ、窓から一人で景色を見るんだよ。よく見
るなあ、雨とか鳥とかね、ただ道路を歩く人間とかね。ずうっと見てて
も面白いんだ、物事を見ておくって言ったのはこういう意味だよ、最近
どういうわけか景色がすごく新鮮に見えるんだ」
「そんな年寄り臭いこと言うなよ、リュウ、景色が新鮮に見えるなんて
それ老化現象だぞ」
「バカ違うよ、俺の言ってるのは違うよ」
「違わないよ、お前は俺よりずっと若いから知らないだけさ、お前な、
フルートやれよ、お前フルートやるべきだよ、ヨシヤマみたいなアホと
つき合わないでちゃんとやって見ろよ、ほらいつか俺の誕生日に吹いて
くれただろ。


 『アポロの眼』 G.K.チェスタトン
「あれはいったいなにかね」とブラウン神父は尋ねて棒立ちになった。
「なに、新興宗教ですよ」フランボウは笑い声で言った。「もともと罪
なんてありゃしないんだと言って人の罪をゆるす新しい宗教の一つです
よ。例のクリスチャン・サイエンスという一派と同じようなもんです。
自称カロンという男なんですが(本名はなんというのか知りませんが、
カロンじゃないことはたしかです)、そいつがぼくのすぐ上につづき部
屋を借りたんです。下の階には二人の女タイピストがはいっていますが、
上に来ているのがこの熱狂的ないかさま師なんです。自分のことを、
アポロに仕える新しき僧、と呼んで、太陽を崇拝しています」
「その人は気をつけたほうがいいな」とブラウン神父。「太陽というの
はあらゆる神のなかでいちばん残酷な神だ。それにしても、あのばかで
かい眼はなにを意味するのかね!」
「ぼくにわかっているところでは、あの一派の理論に、自分の精神さえ
しっかりしていればどんなことにも耐えられるという一項があるんです。
連中のシンボルは二つあって、太陽と眼がそれなんですが、ほんとうに
健康な人間ならお陽さまを見つめることができるという説をもっている
んです」
「ほんとうに健康な人間なら」とブラウン神父、「お陽さまを見つめる
なんてことはめんどうくさくてやる気にならないだろうが」
「まあ、この新興宗教についてぼくが知っているのはそんなところです」
とブランボウは無頓着に言った。「もちろん、どんな肉体の病いでも治
せるという触れこみですがね」
「たった一つの魂の病いとはなんです?」とブランボウは笑顔で問いか
えす。
「自分がまったく健康だと考えることですよ」

「ああいう異教的なストイックは」とブラウンはしみじみと言った、
「きまって自分の力で失敗する」