『アートの統合』のソースは、
『ホーキング宇宙を語る』
スティーブン・W・ホーキング 著
林一 訳
早川書房
p202
第一章で説明したように、宇宙の森羅万象をひっくるめた、完全な統
一理論を築き上げるのはたいへんむずかしい。そこでわれわれは、かぎ
られた範囲のできごとのみを記述し、他の効果は無視するかあるいはい
くつかの数値をその近似として用いて、部分理論を見つけることで前進
してきた(たとえば化学では、原子核の内部構造を知らなくても、原子
の相互作用が計算できる)。しかし究極的に見いだしたいと望んでいる
のは、このような部分理論をすべて近似として含み、しかも事実に合わ
せるために、いくつも恣意的な数値を導入して理論を調整する必要のな
い、完全な、矛盾のない統一理論なのだ。このような理論の探究が、
“物理学の統合”とよばれるものである。アインシュタインは、晩年の
ほとんどすべてを統一理論の探究にむなしくついやしたが、その当時は
まだ時代が熟していなかった。重力と電磁気力に関する部分理論はあっ
たが、核力についてほとんどわかっていなかったのだ。それに加えて、
アインシュタインは、その発展に重要な役割を果たしていたにもかかわ
らず、量子力学の真実性を信じようとしなかった。しかし、不確定性原
理こそ、われわれの住むこの宇宙の基本的な特徴だと言える。したがっ
て、統一理論が成功するのには、この原理を取り入れることが必要であ
る。
これから述べるように、このような理論が発見される見込みは、現在
ではずっと大きくなっている。宇宙について知っていることが、それだ
け多くなっているからである。しかし、自信過剰になるのはつつしもう。
p204
他の部分理論にも、これによく似た、一見不合理な無限大が出現する
のだが、いずれの場合にも“くりこみ”と呼ばれる手続きによって消去
できる。これは、他の無限大を導入することで無限大を打ち消すという
やり方である。この技法は数学的にはかなり疑わしい面もあるが、実地
ではうまくいくように思われ、これらの理論に利用されて観測とすばら
しい精度で合致する予測を行った。しかし、完全な理論を見いだすとい
う立場から見ると、くりこみには深刻な欠陥がある。
p215-217
ところで、このような統一理論は本当にありうるのだろうか? ひょっ
として、われわれはただ、蜃気楼を追っているのではあるまいか? そ
れに対する答えの可能性は三つあると思われる。
(一)完全な統一理論は本当に存在しており、われわれが十分利口であ
れば、いつかそれを発見するだろう。
(二)宇宙の究極的な理論は存在せず、宇宙をよりいっそう正確に記述
していく、無限の理論の糸列があるだけだ。
(三)宇宙を記述する理論はない。できごとはある限度以上に予測する
ことはできず、無作為に、恣意的なやり方で起こる。
もし一組の完全な法則があるとすれば、神が方針を変え、世界に介入
しようとする妨げになるだろうという理由で、第三の可能性を弁護する
人もいる。これは、神は自分にも持ち上がらないほど重い石がつくれる
か、という古いパラドックスに少々似ている。しかし、神が心変わりす
るかもしれないという考えは、時間の中に神が存在していると想像して
いる点で、聖アウグスチヌスが指摘したのと同じ誤りの例だと言える。
時間は神の創造した宇宙の性質にすぎないのである。たぶん神は宇宙を
組み立てたときに、自分の意図をよく知っていた!
量子力学の登場とともに、われわれは、できごとは完全に正確には予
測できず、つねにある程度の不確定さがあることを認識するに至った。
もしそうしたければ、この無作為性を神の介入に帰すこともできるだろ
うが、介入にしてはたいへん奇妙なやりかたではないだろうか。なんら
かの目的に向けられているという証拠がないのである。そもそも、その
ような目的があるとすれば、定義によって無作為的ではなくなる。現在
ではわれわれは、科学の目標を定義しなおすことによって、この第三の
可能性を実際上、取り除いてしまった。われわれの目標は、不確定性原
理の設けた限度内で、できごとの予測を可能にしてくれる一組の法則を
定式化することなのである。
理論の無限の系列があって、それがよりいっそう洗練されていくとい
う第二の可能性は、これまでのわれわれの全経験と合致する。測定の制
度を高めたり、あるいは新しい型の観測を行ったりすると、思いがけず
既存の理論では予測できなかった新しい現象が発見され、それを説明す
るためにもっと進んだ理論を発展させなければならないといったことが
数多く起きたのである。
p222
われわれは結局、科学の任務を不確定性原理が設けた限界内でできご
とが予測できるような法則を発見することだと定義しなおした。しかし、
問題は残っている。宇宙の法則と初期状態はどのようにして、あるいは
どういう理由で選ばれたのか?
p224-225
今日まで、科学者はずっと、宇宙が何であるかを説明する新しい理論
の展開に心を奪われていて、なぜと問うことができないでいる。一方、
なぜと問うことを商売にしている人たち、つまり哲学者は科学を含めた
人間の知識の全体を自分たちの持ち場と見なし、宇宙にはじまりがある
か、などといった問題を論じたのだった。しかし、一九世紀と二◯世紀
には、科学は哲学者、いや少数の専門家以外のだれにとっても、あまり
にも技術的、数学的になりすぎた。哲学者は探究範囲を大幅に縮小し、
今世紀のもっとも有名な哲学者であるヴィトゲンシュタインが、「哲学
に残された唯一の任務は言語の分析である」と言うほどになった。アリ
ストテレスからカントに至る哲学の偉大な伝統からの、これはなんとい
う凋落ぶりだろう!
p225
しかし、もしわれわれが完全な理論を発見すれば、その原理の大筋は
少数の科学者だけでなく、あらゆる人にもやがて理解可能となるはずだ。
そのときには、われわれすべて、哲学者も、科学者も、ただの人たちも
が、われわれと宇宙が存在しているのはなぜか、という問題の議論に参
加できるようになるだろう。もしそれに対する答えが見いだせれば、そ
れは人間の理性の究極的な勝利となるだろう、なぜならそのとき、神の
心をわれわれは知るのだから。