title:アートの統合 ver.1.0j
木村応水 作
1998.3


・統一アート理論
・アブラフィア
・神の創造
・アートの初期状態
・メタアーティストと哲学者

 完全な統一アート理論を築き上げるのは大変難しい。そこで我々は、
限られた範囲の出来事のみを記述し、他の効果は無視するか、あるいは
いくつかのマテリアルを用いて、部分理論を見つけることで前進してき
た。究極的に見い出したいと望んでいるのは、このような部分理論をす
べて含み、しかも事実に合わせるために、いくつも恣意的なマテリアル
を導入して理論を調整する必要のない、完全な、矛盾のない統一アート
理論なのだ。このような理論の探究が、“アートの統合”と呼ばれるも
のである。マルセル・デュシャンは晩年のほとんどすべてを統一アート
理論の探究にむなしくついやしたが、その当時はまだ時代が熟していな
かった。

 このような理論が発見される見込みは、現在ではずっと大きくなって
いる。知識が、それだけ多くなっているからである。しかし、自信過剰
になるのはつつしもう。

 部分理論には、一見不合理なアートが出現するのだが、いずれの場合
にも“アブラフィア”と呼ばれる手続きによって消去できる。これは、
他のアートを導入することでアートを打ち消すというやり方である。こ
の技法はかなり疑わしい面もあるが、実地ではうまくいくように思われ、
さまざまなアートに利用された。しかし、完全な統一アート理論を見い
出すという立場から見ると、アブラフィアには深刻な欠陥がある。

 ところで、このような統一アート理論は本当にありうるのだろうか?
ひょっとして、我々は、ただ、蜃気楼を追っているのではあるまいか?
それに対する答えの可能性は三つあると思われる。

(1)完全な統一アート理論は本当に存在しており、我々が十分利口で
   あれば、いつかそれを発見するだろう。
(2)完全な統一アート理論は存在せず、宇宙をよりいっそう正確に記
   述していく、無限の理論の系列があるだけだ。
(3)完全な統一アート理論はない。アートはある限度以上に表現する
   ことはできず、無作為に恣意的なやり方でする。

 もし完全な統一アート理論があるとすれば、神が方針が変え、世界に
介入しようとする妨げになるだろうという理由で、第三の可能性を弁護
する人もいる。これは、神は自分にも持ち上がらないほど重いトマソン
が作れるか、というパラドックスに少々似ている。しかし、神が心変わ
りするかもしれないという考えは、時間の中に神が存在していると想像
している点で、聖アウグスチヌスが指摘したのと同じ誤りの例だと言え
る。時間は、神の創造した宇宙の性質にすぎないのである。たぶん神は、
宇宙を組み立てたときに、自分の意図をよく知っていた!

 量子力学の登場とともに、我々は、出来事は完全に正確には予測でき
ず、つねにある程度の不確定さがあることを認識するに至った。もしそ
うしたければ、この無作為性を神の介入に帰すこともできるだろうが、
介入にしては大変奇妙なやり方ではないだろうか。なんらかの目的に向
けられているという証拠がないのである。そもそも、そのような目的が
あるとすれば、定義によって無作為的ではなくなる。現在では、我々は、
アーティスト及びメタアーティストの目標を定義しなおすことによって、
この第三の可能性を実際上、取り除いてしまった。アーティストの目標
は、神の設けた限界内で、アートを発見することなのであり、メタアー
ティストの目標は、同じ神の設けた限界内で、アートを可能にしてくれ
る理論を定式化することなのである。

 理論の無限の系列があって、それがよりいっそう洗練されていくとい
う第二の可能性は、これまでの我々の全経験と合致する。造形の質を高
めたり、あるいは新しいアート理論をためしたりすると、思いがけず既
存の理論では予測できなかった新しい現象が発見され、それを説明する
ためにもっと進んだ理論を発展させなければならないといったことが数
多く起きたのである。

 我々は、結局、メタアーティストの任務を、神が設けた限界内でアー
ト理論を発見することだと定義しなおした。しかし、問題は残っている。
“アートそのもの”は、“どういう理由で”“選ばれた”のか?

 今日まで、メタアーティストはずっと、アートが“何であるのか”を
説明する新しい理論の展開に心を奪われていて、“なぜ”と問うことが
できないでいる。一方、“なぜ”と問うことを商売にしている人たち、
つまり哲学者はアートの進歩についていけないでいる。18世紀には、
哲学者はアートを含めた人間の知識の全体を自分たちの持ち場と見なし、
宇宙にはじまりがあるか、などといった問題を論じたのだった。しかし、
19世紀と20世紀には、アートは哲学者、いや少数の専門家以外のだ
れにとっても、あまりにも抽象的になりすぎた。哲学者は探究の範囲を
大幅に縮小し、今世紀のもっとも有名な哲学者であるヴィトゲンシュタ
インが、「哲学に残された唯一の任務は言語の分析である」と言うほど
になった。アリストテレスからカントに至る哲学の偉大な伝統からの、
これはなんという凋落ぶりだろう!

 しかし、もし我々が完全な統一アート理論を発見すれば、その原理の
大筋は少数のメタアーティストだけでなく、あらゆる人にもやがて理解
可能となるはずだ。そのときには、我々全て、アーティストも、メタア
ーティストも、哲学者も、一般の人たちもが、我々と宇宙が存在してい
るのはなぜか、という問題の議論に参加できるようになるだろう。もし
それに対する答えが見い出せれば、それは人間の理性の究極的な勝利と
なるだろう。なぜならそのとき、神の心を我々は知るのだから。