title:アンフィオニイ批評7 ver.1.0j
木村応水 作
1997
日本女性新聞1997.1.15 第1784号
伝統いけばなは、いま5=後編
清泉古流家元 西村一観
伝統を支える伝承を検討してきたが、一九九六年十月号の中央公論に
載った高階秀爾(国立西洋美術館館長)の「記憶の遺産‥‥無形の文化
という日本の伝統」はきわめて示唆に富んだもので、伝統文化にたずさ
わる者にとって必読の一文とお勧めしたい。法隆寺が世界文化遺産に登
録されたことから話をはじめ、「記憶の蓄積と継承こそが文化を形成し
うるものにほかならない」とし、西欧では「記憶の継承」を堅牢な物質
による「モニュメント」にたよったが、「日本人は、人間の記憶がはか
なく頼りないものであると同様、物質もまたほろびやすいものだという
洞察を持っていた」。この洞察に立って「記憶の継承を確保する(西欧
とはまたちがった)いくつかのやり方を生み出した」と彼は述べる。
そのやり方には三つの重要な特色があることを、伊勢神宮の二十年毎
に行われる遷宮の例などを手がかりに説明していく。それらは「型の継
承」、「儀式の反覆」、そして「土地との結びつき」で、いけばなの世
界にひき比べても、なるほど興味深い説明が展開されている。くわしく
は「記憶の遺産」の本文を読んでいただきたい。
ただ「日本からのメッセージ」とされた最終部分で「(日本の)芸術
家は、記憶の共同体の一員となることによって、多くの故人・先人と対
話を交し、その遺産を受け継ぎながら、自己の世界を創り上げていく。
‥‥それは時には過去の芸術家たちとの共同作業に近いものとさえなる」
と高階秀爾は指摘した上で、連載や連句に倣っての「連詩」という「詩
の共同制作」を試みる大岡信の報告『連詩の愉しみ』(岩波新書)をと
り上げる。この企てに参加したノーベル文学賞受賞の詩人オクタヴィオ
・パスの「連詩」の体験は「自我の屈辱だった」という正直な告白につ
いて、高階秀爾は「西欧の個性信仰の行き詰まりを打開する新しい可能
性をそこに見い出している」と記し、パスの次の言葉を引用している。
連歌の実行は、魂や、自我の実在への信仰といった、西洋のいく
つかの本質的概念を否定することを意味する。‥‥連歌は礼儀作法
に匹敵するような厳格な規則にしばられてはいるものの、その目的
は個人の自発性を抑えつけることではなく、反対に、各人のの才能
が他人にも自分自身にも害を及ぼすことなく発揮されるような自由
な空間を開くことにあった。
「厳格な規則」の目的が「他人にも自分自身にも害を及ぼすことなく」
個人個人の才能が発揮される「自由な空間を開くこと」だ喝破した詩人
の言葉の比類ない重みは、ずっしりと胸にこたえる。いけばなは、殊に
古典花の世界にあって、作品制作にあたっての心得として「古実をあら
わす事」と伝書にあったり、「行事」や「歳時」にまつわる伝花があっ
たりするが、それらが高階秀爾やオクタヴィオ・パスの指摘するところ
と見事なほど呼応するのは、いけばなが伝統文化に属する証明と言えよ
う。