title:アンフィオニイ批評5 ver.1.0j
木村応水 作
1996
『サイバースペースの著作権』 名和小太郎
第四に、著作物に対する社会の価値観が大きく変化した。引用だらけ
の建築物がポスト・モダンとしてもてはやされたり、既存のメロディを
下敷きにしたラップ・ミュージックが人気を博したり、パスティシュと
呼ばれるパロディ的な小説が売れたりするようになった。「歴史も文化
もつまるところ〈引用〉の総体から成り立っている」(山口昌男)とい
うような意見が当り前として通るようになった。(ここにいう「引用」
は著作権法の定義する「二次的著作」に相当する。)
著作物の無名性が当然とされた中世では、それらに対する権利主張は
考えられなかった。「ボナヴェントウラの説教集という写本の由来につ
いては10通り以上の解釈が可能である。ボナヴェントウラは原作者の
名前なのか、写本した人の名前なのか、写本した人のいた修道院の名前
なのか、その説教集の持ち主の名前なのか、あるいは説教者の名前なの
か、ボナヴェントウラを賛えたという意味なのか」。このような状況で
は「著作者」という概念は発生しなかった。この話は歴史家E.P.ゴ
ールドシュミットの成果を、現代の百科全書派であるD.ブアスティン
が著書『大発見』に引用したものを、さらにここに要約して引用したも
のである。そのブアスティンによれば、この「引用」という行為は印刷
本というコピーが出現した15世紀以降に現われた慣行だという。
1947年、ユネスコから『ミュージック・コンクレートのパノラマ』
というレコードが発行された。これはピエール・シェフェールをはじめ
とする三人の作曲家と技術者の合作であり、機関車の汽笛や貨車のレー
ル音をオスティナートのようにくり返したり、モーター・ボートのエン
ジンの音とティベットの歌唱とフランス語の語りとを重ねたりした作品
であった。これらは在来のディスク録音技術を応用したものであったが、
きたるべきテープ音楽のさきがけとなった。
テープ技術はクラシックでもポップスでも、はじめのうちは不完全な
演奏録音を継ぎたして完全な録音を作るために使われていた。だが、こ
のような素朴なテープの使用法にたちまちシェフェール流の実験的な要
素が流れこむ。作曲家は磁気テープに録音した音を作品のなかに組みこ
みはじめる。ループ、早回し、逆回し、多重録音、エコー、変調など、
テープ技術を自在に使って新しい効果を作るようになる。前衛作曲家の
ジョン・ケージは、1965年に『ローツアルト・ミックス』という8
8本の録音テープを使用するパフォーマンスをおこなった。このような
実験はただちにポップスの世界に技術移転する。1967年、ビートル
ズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
というアルバムを作る。これは4トラック、700時間分のテープから
編集した40分のLPであった。このためにかれらはテープを切ったり、
つなぎ合わせたりした。ポール・マッカートニーは「ビートルズは新し
い歌を作るだけではない。新しい音を作るのだ」と豪語した。
時間はやや前後するが、この時代にエレクトロニクス技術はさまざま
の形で音楽の世界に浸透してきた。カールハインツ・シュトックハウゼ
ンが発振器、フィルター、変調器などを装備した電子音楽スタディオで
作曲をはじめたのは1950年代初頭であった。シュトックハウゼン流
の合成音発生装置を楽器に仕立てたものがアナログ型のシンセサイザー
である。ワルター・カーロスは『スイッチト・オン・バッハ』を制作し
たが、それはシンセサイザーの出力を8チャンネルに多重録音したもの
であった。このLPは1968年に発売され、たちまちミリオン・セラー
になった。
シンセサイザーは合成音しか利用できない。そこでシェフェール流の
現実音をとりこんだ楽器が開発された。これがメロトロンである。メロ
トロンはすべての鍵盤に磁気テープ装置をとり付けた楽器であり、録音
されたあらゆる音が音源として利用できるようになっていた。この装置
はさきのビートルズのアルバムにも部分的に使用されていた。このあと
電子楽器のディジタル技術への移行がはじまる。ディジタル化したメロ
トロンがサンプラーになる。サンプラーは音楽の世界にディジタル・サ
ンプリングという新しい可能性をもたらした。もうテープを切り貼りす
る必要はなくなる。音をランダム・アクセス・メモリーの上でソフトウ
エアによって編集できるようになった。
フランク・ドイルという音楽技師は、ジェームズ・ブラウンのソウル
からホルンの一吹きをサンプリングして、日本の歌手の甘いバラードに
重ねた。ジェームズは「おれがおまえの家にペンキを塗ったらその家は
おれのものになるのか。おまえのシャツからボタンをもぎとったらその
シャツはおれのものになるのか。おまえの足の爪を引き抜いたらおまえ
はおれのものになるのか」と怒った。
ロック・ミュージシャンのフランク・ザッパには200種をこえる海
賊盤があるといわれている。そのかれは他人にサンプリングされた音を
自分で再編集して『ビート・ザ・ブーツ』というアルバムを作り「無許
諾のコピーとサンプリングは法律違反であり、刑事訴追になる」という
コメントを付けた。ジャケットも海賊盤のそれをコラージュしたデザイ
ンであった。このCDは自作の海賊盤の本人名義の再海賊盤という自己
言及的な構造をもっている。
録音技術は、口伝えの民族音楽へ応用されることによって、徹底して
破壊的な役割を演じるようになる。ヒップ・ホップの連中は、既存の音
楽を盗み、それを分解し、テープ上でリミックスした。かれらはこの操
作をつぎつぎとくり返した。これはカセット・テープ・レコーダーと両
方の手とわずかの想像力さえあればできた。その結果、そこにあるもの
は、だれの音楽なのか、だれの旋律なのか、だれのリズムなのか、見当
がつかなくなった。ディスコにくる若者にとってみれば、毎分120ビ
ート前後のリズム・パートのみあれば間に合った。メロディは不要。ベ
ース・ラインとギターのリフさえあれば、それでよい。サンプリングは
必須の方法として普及してしまう。ラジオのディスク・ジョッキーの人
気番組『トップ40』にランキングされるディスクは、ほとんどがフィ
ル・コリンズのドラムをサンプリングしたものだろう噂もとんだ。
著作物の性格が違えば、それらがもつ価値も異なる。これを図式的に
いうと、
「著作物」=「表現」+「X」
となる。ここで「X」は、芸術的作品であれば「アイディア」や「プロ
ット」であり、事実的作品であれば「データ」や「発見」であり、機能
的作品であれば「アルゴリズム」や「システム」である。
著作権法はこのように著作物を解体したうえで、「表現」のみを保護
し「X」は保護しないという制度である。これを米国法はつぎのように
示している。「著作権はアイディア、処理、プロセス、システム、操作
方法、概念、原理、発見には及ばない」。ここに列挙されているものは、
アイディアにせよシステムにせよ、どれも先行者が権利として独占して
しまうと後続者の活動が不当に制限されてしまうという性格をもってい
る。著作権制度はこのように後続者に不当な不利を与えるものをスクリ
ーニングして保護の外側に置いている。これを一括して「表現/アイディ
アの二分法」と略称している。
問題は表現とXとをはっきりと区別できないことにある。事実的作品
であれば例えばデータベース化という行為が、機能的作品であれば例え
ば標準化という行為が、そして芸術的作品であれば例えばパロディ化と
いう行為が、それぞれこの区別をあいまいにしてしまう。
競争者が編集者の労働の成果を無償で利用することは、たしかに不公
正である。だがこれは著作権制度がそもそも予見していたものだ。著作
権の第一の目的は著作者の労働に応えることではなく、米国憲法が示し
ているように科学と芸術の進歩を促すことにある。この目的のために、
著作権制度は著作者に表現に対する権利を与えてはいるが、同時に他者
にその作品のもつアイデアやデータを開放するのである。この「表現/
アイデア」または「表現/データ」の二分法はすべての著作物に適用さ
れなければならない。この原則を編集物に適用すれば、保護されるもの
は創作性ある選択と配列であり、データは自由にコピーできる。
ここで歴史的な吟味に入る。1909年の旧法にはあいまいな点があっ
た。そこには創作性についての定義もなければ、保護の要件についての
規定もなかった。ただ「著作者は創作者である」という文言があったの
で、これから間接的に創作性が求められていることを推測するにとどま
っていた。そこで、いくつかの下級裁判所は誤りを犯した。しかも旧法
には著作物の例示として「書物、合本、百科事典、名簿、定期刊行物、
その他の編集物を含む」とあった。これによって、編集物はそれ自体で、
どんな創作性をもたなくとも著作権をもつという誤解が生じた。