title:資本論 ver. 4.0j
木村応水 作
1996(ver.1.0j)
New York Transformation 参加作品
1999年9月9日〜9月18日
『ソフィーの世界』 ヨースタイン・ゴルデル
「マルクスの思想には現実的な、政治的な目的があった。マルクスはた
んなる哲学者ではなかったということも要注意だね。マルクスは歴史学
者で、社会学者で、経済学者だった」
「マルクスはどの分野でも先駆者だったの?」
「とにかく、マルクス以外には現実の政治にこれほど大きな意味がある
と考えた哲学者はいなかった。でも、マルクスにちなんで『マルクス主
義』と呼ばれているものとマルクス自身の思想は分けて考える必要があ
る。マルクスは1845年に『マルクス主義者』になったけど、時どき、
自分はマルクス主義者ではない、と言い張ったそうだよ」
「イエスはキリスト教徒だったんでしょう?」
「それも議論の余地があるね」
『深層生活』 モラヴィア
わけがわからないものだから、ちょっとのあいだ、とどまっていたけ
れど、やがて大声を上げたの、「行動するって? で、何をやるんだね?」
って。私は彼には話すつもりがないと、あいまいに答えておいたの。私
に計画があることさえ彼にわかっててもらえば充分だったのよ。どんな
計画だって? その瞬間、お告げがそれ以上話すことを禁じたの。で、
肩をすくめて、「計画はあるんだけれど、それ以上いえないわ」と答え
ておいたわ。そしたらからかい半分に、「何だい、五十年計画かい」で
すって。私は一連の計画経済をほのめかしたなんてわからなかったけれ
ど、それでも理論的知識では一度ならず負けているのに何となく気づい
たものだから、あわててこういったの、「私には計画があるの、それだ
けで充分。要するに自分がやることはちゃんとわかっているのよ、でも
もちろん君に話したりしないわ。要するにマルクスのことなんかほっと
いてよ。そのマルクスだけど、誰なの? 何をやったかわかったものじゃ
ないわ」エミーリオはこんなに無邪気な質問されてかっとなってしまい、
もぐもぐいい出したの。「マルクスは偉…偉…人だ。書いたのは資…資
…本…本…」で私はあいかわらず傲慢に、腹を立てて、ずばりといった
の、「しいしい、おしっこ、ふんふん、糞便ね。わかったわ、あなたの
マルクスって、糞とおしっこの本を書いたのね」って。
『収容所群島』 ソルジェニーツイン
マルクスは語っている。「国家が市民から犯罪人を仕立てるときは、
自分自身に害を与えている」そして、いかにして国家はそれら違反者の
中に熱血漢を、祖国を守る兵士を、共同体の構成員を、《神聖な存在で
ある》家長を見い出すべきか、いや、最も重要なことは、その中の市民
をいかにして見い出すべきかと、非常に感銘の深い説明を添えている。
しかと、わが国の法律学者たちはマルクスを読む暇がない。とりわけ、
このように十分検討を加えていない箇所はなおさらである。マルクスこ
そその気があれば、わが国の指令書を読んでみるがいい。
『わが闘争』 アドルフ・ヒトラー
わたしを憤激させたものは、人々がマルクシズムに対して正しいと思
ってやったやり方であり、方法であった。わたしから見れば、それは人々
がこのペストについてまったくなんらの予感ももっていなことを証明し
たようなものだった。政党はもはや認めないと確言することによって、
マルクシズムが分別して遠慮するだろう、と人々は真剣に信じていたら
しい。
ここでは一般に政党が問題なのではなく、全人類を破滅に導くに違い
ない教説が問題なのであり、人々はこれをユダヤ化した大学では聞くこ
とができず、そのうえおおぜいのものの、特にわが高級官吏の習い性と
なったバカげたうぬぼれから、本を手にとって大学の教授題目に属さな
いものを学ぶことは、努力に値しないと思っていたので、人々には理解
されなかった。これ以上もない激しい変革も、たいていまた国家制度が
私的制度のあとからびっこをひきながらついて行ったため、このような
「頭の人々」にはまったくあとかたなく通りすぎたのだ。農民は知らな
いものは食べない、という民族のことわざは、神かけて、かれらに最も
よくあてはまるのだ。少数の例外がまたここでむしろ原則を立証するの
である。
一九一四年八月当時、ドイツの労働者をマルクシズムと同一視したこ
とは、ナンセンスきわまりないことであった。ドイツ労働者は、当時実
際この有害な伝染病の抱擁から解放されていた。さもなければとにかく
労働者は決して戦争に出ることすらできなかったであろう。しかし人々
がいまではマルクシズムが「国家的」になったのであろうと考えたこと
は、まったく愚かだった。そうとうな才智のひらめきである。ただそれ
は、この長年にわたって公職にある為政者のうちのだれもが、この教説
の本質を研究することをそもそも努力する価値あるものと見なかったこ
とを示している。というのはそうでなければ、そのような誤りをするは
ずはほとんどないからだ。
あらゆる非ユダヤ国民の国家の絶滅をつねに究極の目標としているマ
ルクシズムは、一九一四年の七月に、かれらによってワナにかけられて
いたドイツ労働者階級が目覚め、そして刻一刻と急速に祖国への奉仕に
歩きはじめたことを見て、驚かねばならなかった。わずか数日でこの恥
ずべき民族ぎまんの霧とペテンが消えさり、そしてユダヤ人の指導者群
は、あたかも六十年も大衆に注ぎ込んだたわごとや迷信のあとが、もは
やなくなったかのごとく、とつぜん一人でさびしくとり残されたのだ。
これはドイツ民族の労働者階級をぎまんしようとするものたちにとって
は、悪い瞬間だった。しかし指導者は、かれらに迫る危険をはじめて認
識するやいなや、大いそぎで、うそのかくれずきんを耳までかぶり、あ
つかましくも国家的高揚をいっしょに演じたのだ。
ロシアでは、すでにインテリゲンチャ自身が大部分非ロシア的国民性
をもち、あるいは少なくとも非スラブ人種的性格をもっていた。当時の
ロシアのまばらなインテリ上層は、当時民族の大部分をしめる大衆に結
合する中間成分を完全に欠いていたために、いつでも排除することがで
きたのだった。そして大衆の精神的、道徳的水準は、ロシアでは驚くべ
く低かったのだ。ロシアでは無学は、読み書きのできない大衆の群をか
れらと何の関係も連絡もないまばらなインテリ上層に対して扇動するこ
とに成功するやいなや、この国の運命が決定した。すなわち革命が成功
したのだ。それと同時にロシアの文盲者たちは、ユダヤの独裁者の抵抗
力のない奴隷にされてしまった。もちろんユダヤ人の側では、この独裁
を「人民の独裁」という文句で表現せしめるほどに十分狡猾だった。
われわれ国家社会主義者は不動の態度でわれわれの外交政策目標、つ
まり、ドイツ民族に対して相応の領土をこの地上で確保することを固執
すべきである。そしてこの行為は、神とわがドイツ国の子孫の前で流血
を正当化するように思われる唯一の行為である。まずわれわれは、地上
の支配者としての自分の地位を、ただ独創力およびこの地位を戦い取り
維持しうる勇気だけに依存し、なにものもただで贈与されてはいない生
物として、毎日のパンのために永遠の闘争が運命づけられてこの世界に
存在させられている。その限り、流血は神の前で正当化されるものであ
る。次にわれわれは国民の一人の血たりとも、その犠牲によって他の千
人の生命が救われるということでなければ決して流さなかった。その限
り、流血はドイツ国の子孫の前で正当化されるものである。将来いつか
ドイツ農民階級が力強い息子達を生みうる領土であるなら、その土地は
今日の息子達を賭けることの正当な理由となるだろう。そして責任のあ
る政治家というものは、たとえ現代において攻撃されようとも、いつか
は血を流した罪禍および民族を犠牲にしたことに対して無罪の判決を受
けるはずである。
『私が愛した本』 ラジネーシ
誰も『資本論』を読まない。私は有名な共産主義者に何人も会ったこ
とがある。そしてその目をじっと覗き込みながら彼らに、「『資本論』
は読みましたか?」と尋ねた。読んだと答えた者はたったの一人もいな
かった。
『ノルウエイの森』 村上春樹
「あなた『資本論』って読んだことある?」と緑が訊いた。
「あるよ。もちろん全部は読んでないけど。他の大抵の人と同じように」
「理解できた?」
「理解できるところもあったし、できないところもあった。『資本論』
を正確に読むにはそうするための思考システムの習得が必要なんだよ。
もちろん総体としてのマルクシズムはだいたいは理解できていると思う
けれど」
「その手の本をあまり読んだことのない大学の新入生が『資本論』読ん
ですっと理解できると思う?」
「まず無理じゃないかな、そりゃ」と僕は言った。
「あのね、私、大学に入ったときフォークの関係のクラブに入ったの。
唄を唄いたかったから。それがひどいインチキな奴らの揃ってるところ
でね、今思いだしてもゾッとするわよ。そこに入るとね、まずマルクス
を読ませられるの。何ページまで読んでこいってね。フォーク・ソング
とは社会とラディカルにかかわりあわねばならぬものであって‥‥なん
て演説があってね。で、まあ仕方ないから私一生懸命マルクス読んだわ
よ、家に帰って。でも何がなんだか全然わかんないの、仮定法以上に。
三ページで放りだしちゃったわ。それで次の週のミーティングで、読ん
だけど何もわかりませんでした、ハイって言ったの。そしたらそれ以来
馬鹿扱いよ。問題意識がないだの、社会性に欠けるだのね。冗談じゃな
いわよ。私はただ文章が理解できなかったって言っただけなのに。そん
なのひどいと思わない?」
「ふむ」と僕は言った。
「ディスカッションってのがまたひどくってね。みんなわかったような
顔してむずかしい言葉使ってるのよ。それで私わかんないからそのたび
に質問したの。『その帝国主義的搾取って何のことですか? 東インド
会社と何か関係あるんですか?』とか、『産業共同体粉砕って大学を出
て会社に就職しちゃいけないってことですか?』とかね。でもだれも説
明してくれなかったわ。それどこか真剣に怒るの。そういうのって信じ
られる?」
「信じられる」
「そんなことわからないでどうするんだよ、何考えて生きてるんだお前?
これでおしまいよ。そんなのないわよ。そりゃ私そんなに頭良くないわ
よ。庶民よ。でも世の中を支えてるのは庶民だし、搾取されてるのは庶
民じゃない。庶民にわからない言葉ふりまわして何が革命よ、何が社会
変革よ! 私だってね、
世の中良くしたいと思うわよ。もし誰かが本当に搾取されているのなら
それやめさせなくちゃいけないと思うわよ。だからこそ質問するわけじゃ
ない。そうでしょ?」
「そうだね」
「そのとき思ったわ、私。こいつらみんなインチキだって。適当に偉そ
うな言葉ふりまわしていい気分になって、新入生の女の子を感心させて、
スカートの中に手をつっこむことしか考えてないのよ、あの人たち。そ
して四年生になったら髪の毛短くして三菱商事だのTBSだのIBMだ
の富士銀行だのにさっさと就職して、マルクスなんて読んだこともない
かわいい奥さんもらって子供にいやみったらしい凝った名前つけるのよ。
何が産学共同体粉砕よ。おかしくって涙が出てくるわよ。他の新入生だ
ってひどいわよ。みんな何もわかってないのにわかったような顔してへ
らへらしてるんだもの。そしてあとで私に言うのよ。あなた馬鹿ねえ、
わかんなくたってハイハイそうですねって言ってりゃいいのよって。ね
え、もっと頭に来たことあるんだけど聞いてくれる?」
「聞くよ」
「ある日私たち夜中の政治集会に出ることになって、女の子たちはみん
な一人二十個ずつの夜食用のおにぎり作って持ってくることって言われ
たの。冗談じゃないわよ、そんなの完全な性差別じゃない。でもまあい
つも波風たてるのもどうかと思うから私何も言わずにちゃんとおにぎり
二十個作っていったわよ。梅干ししか入ってなかった、おかずもついて
なかったって言うのよ。他の女の子は中に鮭やらタラコが入っていたし、
玉子焼なんかがついたりしたんですって。もうアホらしくて声も出なか
ったわね。革命云々を論じている連中がなんで夜食のおにぎりのことく
らいで騒ぎまわらなくちゃならないのよ、いちいち。海苔まいてあって
中に梅干しが入ってりゃ上等じゃないの。インドの子供のこと考えてご
らんなさいよ」
僕は笑った。「それでそのクラブはどうしたの?」
「六月にやめたわよ、あんまり頭に来たんで」と緑は言った。「でもこ
の大学の連中は殆どインチキよ。みんな自分が何かをわかってないこと
を人に知られるの怖くってしょうがなくてビクビクして暮らしてるのよ。
それでみんな同じような本を読んで、みんな同じような言葉ふりまわし
て、ジョン・コルトレーン聞いたりパゾリーニの映画みたりして感動し
てるのよ。そういうのが革命なの?」
『バビット』 シンクレア・ルイス
居間の長椅子の隅っこにおさまって、テッドは幾何学や、キケロや、
頭の痛くなるようなコーマスの隠喩についての宿題をした。
「どうしてミルトンやシェイクスピアやワーズワースなどこういう過去
の連中の相も変わらぬ古くさい講義があるのか分からないな」と彼は抗
議した。「シェイクスピアの劇も、もし背景がすてきで、犬をたくさん
使えば、我慢して見ることはできると思うが、ただ平然とすわって読ん
だりするのは、先生たちも、よくあんなことができるなあ」バビット夫
人は靴下をかがりながら考えた、「ほんとうだわ、どうしてかしら?
もちろん教授たちやみんなの前で出すぎた真似はしたくないけれど、シェ
イクスピアにはいろんなものがあると思うわ、たくさん読んでいるから
ではなくて、娘のころ女の子たちがよく、本当は、あまりよくもない文
章を見せてくれたわ」
バビットは『イブニング・アドボケート』新聞のマンガのページから
いらいらしながら顔をあげた。このページがいわば彼のお気に入りの文
学と芸術で、そのマンガの記録の中では、マットさんがジェフさんにく
さった卵を投げつけ、母さんはめん棒で父さんの下品さを直していた。
ひたむきな愛読者の顔で、口をあいてハアハア息をしながら、彼は毎晩
一枚一枚の絵を丹念にながめ、その儀式のあいだは邪魔されるのをきら
った。さらにシェイクスピアについては自分は権威者ではないと感じて
いた。『アドボケート・タイムズ』新聞も、『イヴニング・アドボケー
ト』新聞も、ゼニス商工会議所も、シエイクスピアについて社説をのせ
たことがないし、そういう新聞のどれか一つが口をきるまでは、自分に
は独自の意見を持つのは難しいことを知っていた。しかし見なれない沼
地をさまよう危険を冒すということが分かっていても、彼には無邪気な
論争から抜け出ることができなかった。「シェイクスピアや何かを勉強
しなければならない理由を教えてやろう。大学入試に必要な科目だから
で、現にそうなんだ! 個人的には、わしはなぜこの州(オハイオ州)の
ような最新の高校制度の中でシェイクスピアなんかに固執するのかわか
らないよ。商業英語を取って、魅力のある広告文や手紙の書き方を習っ
た方が数等上だね。しかし、現在はそれがあるんで、話しても、議論し
ても何にもならんよ! 問題は、テッド、お前がいつも何か違ったこと
をしたがるということだ! もしお前が法学部へ行くつもりならば、い
いかい、わしには機会がなかったが、お前が行けるようにしてやるよ、
そうなりゃ英文学もラテン語も全部おぼえたくなるだろう」
「チェッ、つまらないや。ぼくは法学部なんかありがたくないよ、高校
の就職コースだって。どうしても大学へ行きたくないんだ。正直いって、
大学を卒業しても、早く就職した連中ほども給料のとれないのがたくさ
んいるよ。高校でラテン語を教えているジミー・ピータース老人は、コ
ロンビア出かなんからしいが、手あかのついた本をわんさと徹夜して読
んで『言葉の価値』などについてしゃべりまくるんだが、かわいそうに
年に千八百ドルくらいらしいんだ。地方回りのセールスマンだってそん
なのは御免だというだろうな。ぼくは自分のしたいことは知っている。
ぼくは飛行士になりたい、すてきな大車庫を持ちたい、あるいは、昨日
ある男から聞いたんだが、スタンダード石油会社の中国駐在員になりた
いな。そうすりゃ社宅に住んで、何も仕事をしなくてよくて、ただ世間
やパゴタや大洋を見ていればいいんだそうだ! そうなったら通信教育
がやれるよ。あれこそ本当の勉強だね! 校長におべっかを使おうとす
る冷淡なばあちゃん先生に詩の暗唱しなくていいし、ただ自分のしたい
勉強だけすりゃいいんだ。それだけ聞いてりゃいいんだ! どこかすて
きな通信教育講座の広告を切り抜いて置いたよ」
彼は幾何の本のうしろから、アメリカの商業主義の勢力と予想が教育
の分野に貢献した通信教育講座の広告を五十枚も引っぱりだした。一枚
目は清らかな額と鉄のようなあごを持った、絹靴下をはき、エナメル革
のような髪の毛の青年の肖像であった。片手をズボンのポケットに突っ
こみ、もう一方は人指し指だけ出して伸ばして立っている彼は、あごひ
げの白い、たいこ腹の、頭のはげた、また知恵と繁栄をしめすいろんな
兆候を持った男たちの聴衆を魅了していた。写真の上には強力な教育の
シンボル、もはや古い子羊やたいまつやミネルバのフクロウなどではな
い、・・・・・が並んでいた。
$ $ $ $ $ $ $ $ $
『耳の中の炬火』 エリアス・カネッティ
私は両手を壁に打ちつけたかったが、弟たちのまえで肉体的な爆発を
見せるようなことだけはすまいと自制した。けっきょく出来(しゅった
い)したことはすべて紙のうえで、しかも私のいつもながらの分かりや
すい、理性的な文章によることなくおこなわれた。また私はそのために
なじみのノートではなく、ひとつづりの大きな、ほとんど新品同様のタ
イプ用紙を取ってきて、すこぶるおおきな大文字で一枚また一枚と書き
つぶしていった。《金銭(かね)、金銭、またしても金銭》で始めた。
私の筆跡はいまだかつてなかったほど大きかったので、どのページもす
ぐに埋まり、はぎ取られらた用紙は食堂の大きなテーブルのうえの、私
のまわりのカーペットは当の用紙で一面に覆われていたし、私は書くの
をやめることができなかった。ひとつづりは百枚あったが、私はそれを
一枚一枚書きつぶしていった。弟たちは異常な事態が起こっていること
に気づいた。私が自分の書いた言葉を、極端に大きくはないものの、そ
れでもはっきり聞きとれるくらいの声で、口にしたからである。《金銭、
金銭、またしても金銭》はアパルトマン全体にひびきわたった。弟たち
は用心ぶかく私に近づき、床から用紙を拾いあげ、書いてあることを大
声で読みあげた。《金銭、金銭、またしても金銭》それから、すぐした
の弟のニッシムが転がるようにして飛びだし、台所の母のもとへ行って、
こう言った。《エリアスが気が変になってしまった。来てくれなければ
だめだ!》
『河の風景に立つ女たち』 ハインリヒ・ベル
それでお前には収入があるのか? 役所を通して?
上の方からの、変てこな極秘任務なんです。(盗聴器が隠されていそ
うな部屋の隅をあちこち指す)これを見てください。(本棚から分厚い
茶色の封筒をつかみ取る)中身をご覧になって、僕が電話し終わるまで
何も言わないでください。そもそも僕は、いつでも規則に忠実で几帳面
でしたから。リオにいた時でさえそうでしたよ。だって規則にはこう書
いてあったんですから。例外的状況が生じた場合、国籍の違う人間を助
けることが許されるってね。(その間に、ハインリヒは、封筒を開き、
その中からメルセデスの星のエンブレムを取り出す。カールを驚いたよ
うに眺めるが、彼は、優しく指を口に当てて言う)喋る前に、ちょっと
待ってください。(カール電話のダイヤルを回す、ちょっと間をおいて
話し始める)ああ、僕カールだけど、ねえ、ちょっと困ったことになっ
ちゃったんだ。つまり僕の父が、僕が何で金を稼いでいるのか知りたい
って言うんだ。いや、彼の口の堅さは僕が保証するよ。だってカタリー
ナにでさえ、まだ話しちゃいないんだぜ、そんなこと、どっちみち誰も
信じないだろうって。それに、ぼくには証拠も一切ないし。そうだよな。
それじゃ、ありがとう。
(受話器を置き、ハインリヒに向かって言う)僕は、メルセデスベンツ
の星のエンブレムを盗んでいるんです。ここにあるのは、当分のあいだ
は最後の収穫品ってことになるでしょう。しばらくひかえてないとまず
いんです。ここにあるやつを物にするのは本当に至難のわざでした。こ
れは、ヴェルリ博士というスイスの大手銀行家の車についていたもので
す。口が堅いという我が家の伝統が、こういった場合でもしっかりと守
られることを伝統としたいですがね。
(メルセデスの星を手にしながら、呆れたという様子で首を振る)お
前は、わしに一芝居ぶっているんじゃないだろうな。本当に役所のため
にそんなことをやっているのか?
(淡々とした口調で)もう何年か前からですよ。星一個につき、国内
だと百マルクプラス諸経費、外国だと千五百マルクプラス諸経費。だっ
て外国だと、いわば自分で危険をカバーしながら仕事をしなければなり
ませんからね。国内だと、いざという時は身を守ってもらえるんですけ
ど。外国だと、捕まった場合、助けてもらうのが非常に難しいんです。
謝礼金と経費に対しては、領収書まで書かないといけないんですよ。き
ちんとね。何もかもきちんとしてます。
(まだ呆れ返った様子、それに信じきれないといった態で)肝試しで
もしようってわけか。ひょっとしたら、勇気の度合を見るための職業訓
練の一種か?
『資本論』 マルクス
ブルジョア的痴呆も、ここに至っては至極の幸福である!
『告白』 ルソー
金もうけの面に徹底しようと思えばできた。写譜(※ルソーはアルバ
イトで音楽の譜面を筆写していた。)などにペンを使わず、著述にすっ
かり捧げることもできた。一躍つかんだ成功、わたしはそれを維持する
自信があったし、良い本を出そうというだけでなく、売文の器用さもみ
せてやろうとその気になれば、著述によって、ゆたかな、いや豪勢な生
活さえできただろう。しかし、パンを得るために物を書くことは、やが
てわたしの天分の息の根をとめ、才能を殺してしまうという気がする。
わたしの才能はペン先にではなく心の中にあるのだ。高貴で誇りにみち
た考え方からのみ才能は生まれ、またそれだけが才能を養うにたりるの
である。金銭ずくのペンからは、力強い、偉大なものは、何ひとつ生ま
れえない。金の必要や貪欲にかられれば、良いものより、はやくできる
もの、ということになろう。成功欲は、わたしを陰謀中に投げこまない
までも、有用な真実のことより大衆受けすることをいわせたであろう。
そして抜群の作家たりえたかもしれぬ自分は、三文作家にまでなりさが
っただろう。いや、いや、わたしはいつも思ってきた、「作家」たるこ
とは、それが職業でないかぎりでしか、光輝も尊敬も与えられない、与
えられるはずがない、と。飯を食うためにしか考えていないときに、高
貴な発想をすることは至難である。偉大な真理を語りうる力、その勇気
をもつには、成功を無視しなければならぬ。わたしは、ほかのいっさい
は念頭におかず、ただ公共の福祉のためにのみ語ったという確信をもっ
て、わたしの著書を公衆のなかに投じてきた。もし著作が黙殺されたら、
その著作から学ぼうとしなかった連中こそお気の毒さまだ。わたしとし
ては、生活のために彼らの好評をえたいと念じたことはない。著書が売
れなくても、わたしの職業で食ってゆける。実際また、だからこそわた
しの本が売れたのではあるが。
『諸国民の富』 アダム・スミス
印刷所が発明されるまで、学生とこじきとはほとんど同義語であった
ように思われる。その当時まで、諸大学のさまざまの総長は、その学生
たちにこじきをする免許状を授与したことがよくあったらしい。
『悪童日記』 アゴタ・クリストフ
ぼくらは、破れた汚い衣類を身にまとう。裸足になり、顔と手をわざ
と汚す。街頭へ出かける。立ち止まり、待つ。
進駐軍の将校がぼくらの前を通る時、ぼくらは右腕を挙げて敬礼し、
左手を差し出す。たいてい、将校は立ち止まらず、ぼくらに気づきもせ
ず、ぼくらを見もせず、通り過ぎる。
やっと、一人の将校が立ち止まった。彼は、ぼくらに理解できない言
語で何か言う。ぼくらに、あれこれ問いかけているらしい。ぼくらは返
事しない。一方を前に差し延べたまま、じっとしている。すると彼は、
ポケットの中を探り、硬貨一枚とチョコレートのかけらをぼくらの汚れ
た掌の上に載せ、首をひねり立ち去る。
ぼくらは待ち続ける。
一人の婦人が通りがかる。ぼくらは手を差し出す。彼女が言う。
「かわいそうにね‥‥。私には、上げられるものが何ひとつないのよ」
彼女は、ぼくらの髪をやさしく撫でてくれる。
ぼくらは言う。
「ありがとう」
別の婦人がりんごを二個、もう一人がビスケットをくれる。
また一人の婦人が通りがかる。ぼくらは手を差し出す。彼女は立ち止
まり、言う。
「乞食なんかして、恥ずかしくないの? 私の家にいらっしゃい。あな
たたち向きの、ちょっとした仕事があるから。たとえば薪を割るとか、
テラスを磨くとかね。あなたたちくらい大きくて強ければ、十分できる
わよ。ちゃんと働いてくれたらば、お仕事が終わってから、私がスープ
とパンをあげます」
ぼくらは答える。
「ぼくら、奥さんの御用を足すために働く気はありません。あなたのス
ープも、パンも、食べたくないです。腹は減っていませんから」
彼女が訊ねる。
「だったらどうして、乞食なんかしているの?」
「乞食をするとどんな気がするかを知るためと、人々の反応を観察する
ためなんです」
婦人はカンカンに怒って、行ってしまう。
「ろくでもない不良の子たちだわ! おまけに、生意気なこと!」
帰路、ぼくらは、道端に生い茂る草むらの中に、りんごとビスケット
とチョコレートと硬貨を投げ捨てる。
『日記』 種田山頭火
行乞は一種の労働だ、殊に私のような乞食坊主には堪えがたい苦悩だ、
しかしそれは反省と努力とをもたらす、私は行乞しないでいると、いつ
となく知らず識らずの間に安易と放恣とに堕在する、肉体労働は虚無に
傾き退廃に陥る身心を立て直してくれる、この意味に於いて、私は再び
行乞生活に立ちかえろうと決心したのである。
『人口論』 マルサス
世界には真の必要以上に労働があること、また、もし社会の下層諸階
級が一日に六時間あるいは七時間以上はたらかないことに自分たちで協
定できても、人間の幸福に欠くことのできない諸商品はなお、現在と同
様に豊富に生産されるだろうということについて、わたくしはゴドウイ
ン氏にまったくよろこんで譲歩する。しかし、このような協定が遵守さ
れると考えることは、ほとんど不可能である。人口の原理から、あるも
のが他のものよりかならずいっそう困窮しているであろう。大家族をも
つ人びとは、当然にさらに二時間の労働をもっと多量の生活資料と交換
したくおもうであろう。かれらが、この交換をおこなうのを、どのよう
にして阻止することができるであろうか。積極的な諸制度によって、人
間自身の労働にたいする支配権に干渉するこころみは、人間が持つ第一
にしてもっとも神聖な所有のじゅうりんであろう。
『ニジンスキーの手記』 ニジンスキー
私は、株式交換所を震えあがらせるために億万長者になりたい。私は
株式交換所を滅ぼしたい。私は生である。生とは人々の隣人に対する愛
である。株式交換所は死である。株式交換所は野望を実現しようと財布
をはたいて交換所に来る貧乏な人々から盗みを働く。私は貧乏人が好き
だ。だから仲買人を滅ぼすために株式交換所で勝負する。仲買人は巨万
の金で対抗する。莫大な金は死である。だからそれは神から生まれたも
のではない。株式交換所で金を作りたい。だからチューリッヒへ行きた
い。
この頃では、働く人が余っていないので、みな仕事が金より大事なこ
とに気づいている。私は労働者だ。みな働くべきだ。だが、仕事はすべ
て平等ではない。よい仕事は必要とされている。私もこの本を書く仕事
をした。自分の楽しみのために書いているのではない。著作に自分の金
と時間を注いでいれば、喜びなどありようはずがない。沢山書くことに
よって、書いていることが何を意味しているか理解出来るようになる。
むずかしい職業である。坐るのに疲れ、足は曲がり、腕は硬直する。目
は悪くなり、充分に空気を吸えなくなる。部屋は息苦しくなる。そんな
生活をしていると、早死にするだろう。夜、書きものをしていると目を
悪くし、眼鏡をかけなければならなくなる。偽善者は片眼鏡をする。長
時間、ものを書いていると目が充血してくるのに気がついた。私は神に
殉教する人が好きだ。お金がなくては生活出来ないので、金のために書
くべきだという人が多い。私は目に涙をためて、その人達がはりつけに
されたキリストのようにしているのを見ている。私は金のために踊って、
別のやり方で経験しているので、このようなことを聞くたびに、涙が出
てくる。私はくたくたになり、死にそうだった。私は重い荷物を引きず
って、鞭打たれている馬のようだった。馭者はこの動物がもう余力のな
いことをわかっていなかった。馭者は馬を鞭打って殺してしまった。馭
者はこの動物がもう余力のないことをわかっていなかった。馭者は馬に
鞭をあて、丘をくだった。馬はぶっ倒れた、私は見ていた。私の心は泣
き叫んでいた。私は大声で泣きたかったが、ひとが弱虫な奴だと思うの
ではないかと考えて、心の中で泣いた。馬は横たわり、痛みで泣いてい
た。私は痛いほど感ずるのだ。獣医は憐れんでピストルでこの馬を射殺
した。
『超男性』 アルフレッド・ジャリ
こうなったうえは、労働のこと、つまり労働の精神的価値といったこ
とを言いださないでほしい。私は労働の観念を物質的必要としてやむを
えず受け入れているわけで、この点では労働のもっともよい配分、つま
りもっとも正当な配分に、誰よりも好意的である。いまわしい生活上の
義務から労働を課させるのならまだいいが、自分や他人の労働を信じろ
だの、敬えだのと要求されるのはごめんなのだ。かさねて言うが、私は
自分が昼のなかを歩む人間だなどと思いこむよりも、夜のなかをさまよ
うほうが好きである。労働しなくてはいけないというのなら、生きてい
てもしょうがない。誰もが自分自身の生活の意味の啓示をそこに期待す
る権利をもっている出来事、私もまだそれを見い出してはいないかもし
れないが、しかしそれへの途上で私自身を探しつつあるこうした出来事
は、労働とひきかえに与えられるものではないのだ。
『日はまた昇る』 ヘミングウエイ
ぼくは支払うべきものはみんな支払ったつもりでいた。何もかも投げ
だす女のような支払い方ではない。償いとか罰とかいう考えからでもな
い。単なる価値の交換なのだ。何かを引き渡して、ほかの何かを手に入
れる。あるいは、何かを手に入れるために働く。何かいいものを手に入
れるためには、なんらかの方法で代償を支払わなければならない。おれ
は、自分の好きなものを手に入れるために、ちゃんと代償を払ってきた。
それで楽しいときをすごせたのだ。代償の払い方にも、いろいろある。
勉強とか、経験とか、危険をおかすとか、金を使うとか。生活を楽しむ
ということは、払った金に相当する値打ちのものを手に入れる方法をお
ぼえることであり、またそれを手に入れたら十分味わうことである。だ
れでも払った値打ちだけのものは手に入れることができるんだ。この世
は買物をするには絶好の場所だ。これは、すばらしい人生観のような気
がする。もっとも、五年もすれば、おれが前に考えたすばらしい人生観
と同じように、ばかげたものに思えてくるだろうが。
いや、そうともいいきれないぞ。おれは自分が生きてきたあいだに何か
を学んだはずだ。人生の意義といったようなことは、おれは気にしない。
おれの知りたいのはどう生きるかということだ。どう生きるかがわかっ
たら、人生の意義というやつもわかるかもしれない。
『闘うプログラマー』 G.パスカル・ザカリー
仕事と家族の板ばさみを解決しようと、自社株の一部を売って、カネ
をふんだんに使う者が多かった。カネがあれば、好きなものが買えるし、
気持ちも大きくなる。毎日の苦痛をやわらげる手段になる。なかには、
将来の安定を第一に考える者もいた。ロウ・ペラゾーリは新しい自宅を
買おうとは思わなかったし、新しい車すら買わなかった。二人の娘のた
めに、大学の学資を貯金し、自分と妻が早く引退できる資金を貯金した。
しかしたいていの者は、派手に買い物をした。七月の期限までの一年
間に、あるプログラマーは職場から三十分のところにある邸宅を買い、
コロラド州ベールに別荘を買い、新車を四台買った。サーブとポルシェ
のコンパーティブル、ボイジャー・バン、ホンダ・アコードだ。新車は
すべて現金で買った。合計十五万ドル近くかかった。「カネを使うのは、
気分をすっきりさせるためだ」と言う。しばらくすると、また新しい車
がほしくなった。ポルシェよりも高いスポーツカー、ロータス・エスプ
リだ。自宅にはテニス・コートをつくったが、ここでテニスをする時間
がとれないと嘆いていた。成功をおさめている別のプログラマーは、ワ
シントン湖畔の豪華な家にひとりで住んでいるが、始終オフィスで寝て
いて、自分は「ホームレスだ」と言っていた。
マイクロソフトではたらいて手に入れたカネの価値に、疑問をもつ者
もいる。「会社のおかげで、生活はほんとうに豊かになった」と、リー
・マンヘイムは言う。しかし、不安を感じている。「何を望むかには十
分に注意しろという諺がある。その通りだと感じることがときどきある。
『虚栄のかがり火』 トム・ウルフ
「パパ‥‥パパはなにしてるの?」
なにをしている?
「してる? どういうことかね、キャンベル?」
「あのね、マッケンジーのパパは本を作ってて、八十人も人を使ってる
んだって」
「マッケンジーがそう言ったの?」
「そうよ」
「ほほう! 八十人か!」シャーマンの父親は、小さい子供に話すとき
のいつもの調子で言った。
「これは、これは!」
獅子はガーランド・リードをどう思っているか、シャーマンには想像
がついた。ガーランドは父親の印刷業を引き継いで、ともかく十年間そ
れを維持してきただけだった。
「本を作る」といっても、出版社に依頼されて印刷するだけで、それも
文学的香りは薬にしたくもなく、マニュアルとかクラブの名簿、会社の
契約書、年次報告のたぐいだった。八十人といったって、八十人のイン
クまみれの哀れな人間たち、植字工や印刷工の連中だった。獅子は最も
羽振りのいいときにはウオール街の弁護士二百人をあごで使っており、
そのほとんどがアイヴィー・リーグの出身だった。
「でも、パパはなにしてるの?」とキャンベルはもどかしそうに訊いた。
マッケンジーのところに戻って早く報告したかったし、それも相手を関
心させるような答えでなくてはならなかった。
「おい、シャーマン、どう答えるね?」と満面に笑みを浮かべて父親は
訊いた。
「わしも答えを聞きたいな。おまえたちがやっていることは正確に言っ
て何なのかわしもよく考えるんだ。キャンベル、すばらしい質問だよ」
キャンベルは祖父にほめられたのをまともに受け取ってにっこりした。
また皮肉だ。今回はあまり喜んではいられない。獅子はシャーマンが
法律の関係ではなく債権を売り買いする仕事に入ったのを快く思ってい
なかった。しかも、そこで成功を収めたために、よけいぎくしゃくして
いた。シャーマンは腹が立ってきた。父と母とジュディがひと言も聞き
もらすまいとしているのに、子供向きにダディは〈宇宙の支配者〉なん
だよと言うわけにはいかなかった。かといって謙虚にセールスマンと言
うわけにもいかない。それではその他大勢のなかの一人にすぎない。た
とえ債権取り引き主任と言ったところで、威張って聞こえるだけで、だ
れも感心しないだろうし、どっちみちキャンベルにはちんぷんかんぷん
だろう、キャンベルは息を切らして答えを待っており、幼い友だちのと
ころに早く戻ろうとうずうずしていた。友だちのダディは本を作り、八
十人も従業員をかかえているのだ。
「お父さんは債権の取り引きをしてるんだ。債権を売ったり買ったり‥‥」
「債権ってなあに? 取り引きってなあに?」
母が笑い出した。「シャーマン、もっと上手に説明しなくちゃだめで
すよ」
「あのね、キャンベル、債権っていうのはだね、うーん、どう説明した
ら一番よくわかるかな」
「シャーマン、わしも説明してもらいたいもんだな」と父が言った。
「債権発行による調達資金でまかなわれた会社買収の契約をわしは何千
件となく取り扱ったが、あんな空手形みたいな債権をなぜほしがるやつ
がいるのかいつも考えているうちに眠くなってしまったものさ」
それはお父さんもお父さんが使っていた二百人のウオール街の弁護士
も、〈宇宙の支配者〉たちの下働きでしかないからだ、とシャーマンは
思ったが、苛立ちはつのる一方だった。キャンベルが祖父を唖然とした
顔で見ていた。
「おじいちゃんは冗談を言ってるだけだよ」父に鋭い視線を投げた。
「債権っていうのはね、人がお金を借りるやり方なのだ。たとえば道路
を作りたいと思ったとしよう。小さな道ではなく、大きなハイウエイだ
よ。去年の夏メインに行ったときに走ったようなハイウエイだ。それと
も、大きな病院を作りたいとしよう。そうするとたくさんお金がいるだ
ろ。銀行が貸してくれるだけでは足りない。そういうときに、債権とい
うのを発行するんだ」
「ダディは道路や病院を作ってるの? そうなの?」
今度は父と母が一緒に笑い出した。シャーマンはあからさまな非難の
目を二人に向けたが、かえって二人は喜んだだけだった。ジュディは同
情の色を目に浮かべて、そう見えた、微笑んでいた。
「いや、実際に作ってるわけじゃないんだ。ダディは債権を扱っていて、
その債権のおかげで‥‥」
「ダディは作るお手伝いをしてるの?」
「そう、ある意味ではね」
「どこの?」
「どこのって?」
「道路や病院を作るって言ったでしょ」
「ああ、どの道路とか病院とかいうわけじゃないんだ」
「メインに行く道路?」
父と母は二人ともくすくす笑いだした。面と向かって笑うまいとどん
なに努めても笑わずにいられないといった腹立たしい笑いだった。
「いや、そうじゃない‥‥」
「シャーマン、あなた、お手上げのようね!」と母が言った。終りのほ
うは、いまにも吹き出しそうだった。
「メインに行く道路っていうわけじゃないんだ」母の言葉を無視してシャ
ーマンは言った。「別の言い方をしてみようかね」
ジュディが口をはさんだ。「わたしに説明させてみて」
「うむ‥‥どうぞ」
「ダディはね、道路や病院を作ったりしないし、作るお手伝いをしてい
るわけでもないの。そうじゃなくて、お金がいる人たちのために債権を
扱ってるのよ」
「債権って?」
「そうね。債権ってひと切れのケーキだと思ったらいいわ。そのケーキ
は自分で焼いたのではないの。でも、ケーキをひと切れだれかに配るた
びに小さなかけら、くずがこぼれるでしょ。それは自分で取っていいの」
ジュディは微笑んでいた。キャンベルも微笑み、これは冗談であり、
ダディがやっていることをおとぎ話風に話しているのだと了解している
ようだった。
「小さなくず?」と先を促すように訊いた。
「そうよ。小さなくずだけど、それがたくさん出たと思ってみて。たく
さんケーキを配ると、そのうちくずが一杯たまって、とっても大きなケ
ーキが作れるようになるの」
「本当のお話?」
「いいえ、本当のお話ではありません。想像上のお話よ」ジュディは債
権の仕事についてのウイットに富んだこの説明を認めてもらいたくて、
シャーマンの父と母のほうを見た。二人は微笑んだが、自信なさそうだ
った。
「その説明だってキャンベルにはやはりわからないだろうな」とシャー
マンは言った。「やれやれ‥‥くずか」
彼は微笑んで、これが昼食の席での冗談にすぎないことは承知してい
るのだという様子を見せた。事実‥‥ジュディがウオール街に軽蔑的な
態度をとることに、シャーマンは馴れっこになっていた。しかし、くず
‥‥と言われていい気はしなかった。
「そんなに悪いたとえじゃないでしょ」とジュディも笑みを浮かべて言
った。それから父親のほうに向きなおった。「ジョン、具体的な例をあ
げてみますから、判定してくださいな」
ジョンだと。くずなどというのもどこか‥‥はずれている‥‥が、ジョ
ンと呼びかけるとは、様子がおかしくなってきている可能性を示す初め
ての形に表われた兆候だ。父と母は自分たちをジョンあるいはセレスト
と名前で呼ぶようにずっと勧めていたが、彼女にとってはしっくりこな
かったので、呼びかけるのは避けていた。いまのようにさりげなく自信
をもってジョンと呼びかけるのは、ジュディらしくなかった。父も多少
用心したようだ。
ジュディはいきなりジスカール計画の説明を始めた。父に向かってこ
んなことを言った。「ピアス&ピアスはフランス政府のために債権を発
行するわけでも、フランス政府からそれを買うわけでもないの。フラン
ス政府からすでに買った人たちから買うだけよ。だからピアス&ピアス
の債権取引は、フランスが建設したり開発したり‥‥達成したりしたい
と思っていることと、いっさい無関係なの。ピアス&ピアスが登場する
ずっと以前に、すべて片がついてるわけなのね。だから結局債権は‥‥
ケーキみたいなものでしょ。黄金のケーキだけど。そしてピアス&ピア
スは」彼女は肩をすくめる「すばらしい黄金のくずを何百万もかき集め
て自分のふところに入れるのよね」
「そう呼びたければ、くずと呼んでくれてもいいさ」シャーマンはぴり
ぴりしている様子を出さないように努めたが、うまくいったとは思えな
かった。
「まあ、わたしにはこれ以上うまく説明するのは無理ね」ジュディは明
るく言って、父親と母親に、「投資銀行の仕事というのはわかってます
ね。二十歳以下の人にうまく説明する方法があるのかしら。たぶん三十
歳以下の人にでもむずかしいわ」
シャーマンは、キャンベルが途方に暮れた顔をして立っているのにや
っと気がついた。「キャンベル、あのね、マミーはダディに仕事を替え
てほしいんだと思うな」ここ何年もこんなおもしろい話をしたことがな
いと言わんばかりに、にやっと笑った。
「そんなことないわ。黄金のくずに不満はないもの!」ジュディは笑い
ながら
言った。
くず、もううんざりだ! 怒りが高じてくるのがわかった。しかし、
笑みを絶やさなかった。
「ぼくは飾りつけ、いや失礼、インテリア・デザインの仕事でもやるべ
きなんだろうな」
「あなたには向かないと思うわ」
「そんなことわからんぞ。あれはだれだったかな? きみがアパートの
インテリアをしてあげたイタリア人夫妻は? ディ・ドウッチ夫妻?
プーフ・カーテンや光沢のあるチンツの生地を選んだりするのはきっと
面白いだろう」
「とくにおもしろいとは思わないけど」
「そうかね、じゃ創造的だ。ちがうかい?」
「そうね‥‥少なくとも“やった”と言えるもの、実体のあるもの、は
っきりした形のあるものが残る‥‥」
「ディ・ドウッチ夫妻のためにね」
「たとえ軽薄で虚栄心の強い人たちのためであっても、それは“リアル”
で、説明できるものだし、素朴な人間的満足を多少ともみたしてくれる
ものだわ。どんなに俗悪で、束の間だけのものであってもよ。とにかく
子供にも説明できるわ。ピアス&ピアスでは、毎日いったいどんなこと
をやっているとおたがいに説明するのかしら?」
突然、べそをかいたような泣き声があがった。キャンベルだ。涙が頬
をつたっていた。シャーマンは両腕をまわして抱きかかえたが、体を固
くしていた。
「心配しなくていいんだよ」
ジュディが立ち上がってそばにくると、彼女も娘を抱きしめた。
「まあ、キャンベル、キャンベル、キャンベル! ダディと冗談を言っ
てただけよ」
ポラード・ブラウニングが彼らのほうを見ていた。ローリーも見てい
た。まわりのテーブルにすわっている人たちの顔がみな、傷ついた子供
のほうをじっと見ていた。
『Macintosh に愛をこめて』 オーウエン・リンズメイアー
Appleを設立する前、スティーブ・ジョブズはAtariが最初に雇い入れ
た50人のひとりとして勤務していました。Atariは、シリコンバレーの
ゲームメーカーで、1972年にノーラン・K・ブッシュネルによって
設立されました。AtariのPongはピンポンを単純なコンピュータゲームに
したものですが、全国のゲームセンターや家庭で爆発的にヒットした商
品です。次のヒット作を模索していたブッシュネルは、Pongのバリエー
ションとして、Breakoutという名のゲームを製作することにしました。
このゲームは、プレーヤーが画面の下端に設置されたパドルを操作して
ボールを打ち、上端に並んだブロックを打ちくずすとというものでした。
ブッシュネルは、技術者のジョブズに回路を設計するよう命令しまし
た。ジョブズはいろいろ試みましたがすぐに自分の手にはおえないこと
に気付き、仲の好いスティーブ・ウオズニアックに救いを求めました。
「スティーブにはあれだけ複雑なものを設計する能力はなかった。彼
はぼくのところへやって来て、Atariが新しいゲームを製作したいこと、
そしてどんなものを求めているかを説明した。問題は、それを4日間
で仕上げろということだった。今考えてみると、ジョブズはオレゴン
にある農場の一部を買うための資金が必要だったんだろう」
スティーブ・ウオズニアック
そんな短期間で複雑なゲームを設計するのは、かなり厳しいことでし
た。Hewlett-Packardでフルタイムの社員として働いているにもかかわら
ず、ジョブズとともに4日間一睡もしないで取り組んだ結果、ウオズニ
アックはゲームのプロトタイプを完成させることができました。おかげ
で2人とも伝染性単核症に悩まされる羽目になりましたが。それでもウ
オズニアックには、素晴しい経験だったと語っています。
Atariへゲームを納品したジョブズは、設計の代金をもらうのにトラ
ブルがあると言ってウオズニアックへの支払を延ばしていました。よう
やくのことで350ドルの小切手をウオズニアックへ渡したジョブズは、
オレゴンの共同農場へ飛んで行きました。友人のおかげでブッシュネル
に気に入られることができたのですからジョブズは満足し、Breakoutの
設計が記録的な速さで終了し、使われているチップの数も非常に少なか
ったためブッシュネルも満足でした。ウオズニアックは、自分がもっと
も好きなことでちょっとした小遣いを稼ぐことができたのでやはり満足
していました。「25セントしかもらえなくても、ぼくはあの仕事を引
き受けたと思う」1984年にBreakoutプロジェクトと“親友”のジョ
ブズについての事実を知った後でさえ、ウオズニアックはそう思ってい
ます。
「ああいう製品を設計できたことをとても誇りに思っていた。ノーラ
ン・ブッシュネルはできる限りチップの数を抑えたゲームを欲しがっ
ていた。スティーブが言うには、チップの数が50以下なら700ド
ル貰えるから350ドルづつ山分けにできるし、40以下に抑えるこ
とができたら1000ドル貰えるはずだった。4日間寝ないでがんばっ
た結果、チップの数は42。あと2つチップを減らせれば良かったの
だが、もう1分たりとも働けない状態だったから700ドルで手を打
つことにしたんだ」
スティーブ・ウオズニアック
「ユーザグループクラブでMacのプロモーションを行うため、Macチー
ムのメンバーといっしょにフォートローダデルへ向かう飛行機の中だ
った。アンディ・ハーツフェルドがAtariに関するZap!の記事を読ん
でいたんだ。記事によると、Breakoutの設計者はスティーブ・ジョブ
ズということになっていた。だから、それはぼくたち2人の共同設計
で、報酬としては700ドルを受け取ったんだということをアンディ
に明したんだ。ところがアンディは、『何かの間違いだろう。ここに
は5000ドルって書いてあるぞ』と言うんだ。ノーラン・ブッシュ
ネルがジョブズに5000ドルを払ったいきさつを読んだときには、
涙がでてきたよ」
スティーブ・ウオズニアック
ウオズニアアクを不愉快にさせた原因が金額でないことは確かです。
もし、ジョブズが初めからそう頼んでいたら、ウオズニアックは無償で
設計を引き受けたはずです。彼にとって、あのプロジェクトは技術的な
チャレンジだったからです。彼を深く傷つけたのは友人の裏切り行為の
ほうでした。
当時を振り返ってみると、ジョブズの行為は彼の性格そのものを表し
ていることにウオズニアックは気が付きました。「軍の放出品を取り扱
っていたスティーブは、『もし30セントで部品を買い付けることがで
きたら、販売店にはそれを6ドルで売りつける。自分がそれにいくら払っ
たからを相手に言う必要はない。相手にとってその品物は6ドルの価値
があるのだから』と言っていた。それが彼のビジネス哲学だったんだろ
う」とウオズニアックは語っています。
皮肉なことに、ウオズニアアクのBreakoutの設計は素晴らしすぎた
ため、ジョブズはもとよりAtariのエンジニアは誰ひとりその仕組を完
全に理解することができませんでした。当然ながらテストをすること
もできないため、出荷前に社内でもう一度設計をやり直すはめに陥っ
たのです。
『血みどろ臓物ハイスクール』 キャシー・アッカー
金のために労働することは、アメリカン・ライフに偏在する事実だ。
『新約聖書』 ルカの福音書16.9-13
不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富が
なくなったとき、彼らはあなたがたを永遠の住まいに迎えるのです。小
さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さいことに不忠実な
人は、大きいことにも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に
忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがた
に、あなたがたのものを持たせるでしょう。しもべは、二人の主人に仕
えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重
んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また
富にも仕えるということができません。
『ドキュメン ヨーゼフ・ボイス』
資本ということ、これについてマルクスは「資本論」という大きな本
を書いていますが、やがて資本という言葉が貨幣とは何の関係もない概
念であるということがわかる日がくると思います。では資本とは何であ
るかといいますと、これはいわゆる金融、お金では捕えられないもので
す。我々、人間の創造力、創造性、そうしたものこそが唯一資本である
ということが明らかになる日が来ると思います。
芸術を作ることはそのまま労働することであり、労働をする以上、当
然収入に対する権利をもっています。つまり芸術として成立したものは、
商品になっているのです。その点ではいかなる生産物であれ、精神的な
生産物であれ、物理的な生産物であれ、すべて商品になっていくのです
から、音楽家と自動車工場の労働者との間に差はありません。当然我々
の創造力の結果として生産物ができているのですから、すべての人間が
収入に対して権利をもっていることがわかると思います。
『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明
芸術の特質は、表現する者と、表現せられた芸術のあいだの〈架橋〉
(自己表出)の、芸術発生の起源からの連続的転換のなかに存在する。
この〈架橋〉の特質が、自然物に手を加え、これを変え、なにかをつく
りだし、これから逆に人間の存在がおしつぶされたりする物質性と、精
神のそれとを区別するものである。芸術が〈労働〉や〈労働時間〉に等
価還元することをゆるされない特質はこの構造のなかにしか存在しない。
『魅せられたる魂』 ロマン・ロラン
人は愛のみで生きるものではない。人は金で生きるものでもある。
『宮本武蔵』 吉川英治
「ありがとう」
武蔵は、伊織へそういった。
他愛もない言葉ながら、伊織の気持ちはうれしいものだった。彼は自
分の侍(かしず)いている先生が、いかに貧しいかを、子供ごころにも
常に案じているふうなのだ。
「では、借りておくぞ」
おしいただいて、武蔵は、彼の巾着を懐中(ふところ)に預かった。
そして歩きながら思うには、伊織はまだ子供だが、幼少から、あの痩
せた土と藁の中に生れ、つぶさに生活の困窮を舐めてきたので、童心の
中にもおのずから「経済」というものの観念が、つよく養われている。
それに較べると、武蔵は自分ながら、自分には「かね」を軽視し、経
済を度外視している欠点があることに気づく。
大きな経策には関心をもつのであるが、自己の小さい経済には、ほと
んど無関心なのである。そして幼い伊織にさえその「私の経済」には、
いつも心配を煩わしている。
(この少年は、自分にはない才能を持っているようだ)